境内西側、国道140号線の脇に県指定史跡「石経蔵」があります。 この石経蔵は、当寺18世大量英器大和尚と新潟県新発田市観音院3世大而宗龍禅師によって、明和7年(1770)に造られたものです。石蔵の中に大般若経を墨書した大小の川原石数千個が納められています。
宗龍禅師は各地で授戒会(64回)安居助化師(33回)を行い、民衆の救済と僧侶の育成に務められた大禅師であります。
般若無礙海(高山市大隆寺蔵)という本の中に、その経緯が詳しく述べられています。宗龍禅師は、明和3年(1766)龍田寺の冬安居の折、長年心の中に温めてきた大般若石経書写の大事業を行う決心をしました。 翌年2月大通院(皆野町)の授戒会を終えて、秩父札所を巡拝した際、河原に平白石を見つけ、これに書写しようと思いたち、廣見寺に至りました。 時の住職大量英器大和尚は宗龍禅師の大誓願に共鳴し、石経蔵を造る約束をしたのでした。明和6年、石工8人によって1年がかりにて石蔵が完成し、明和7年5月より100日間の石経書写安居が行なわれ、僧俗により大般若経が書写され、石蔵に奉納されました。
また宗龍禅師は、良寛
さまが大変尊敬され、大きな影響を受けた方として有名であります。 宗龍禅師は「常乞食僧」と称して、生涯乞食をして過ごされた方であります。良寛
さまのライフスタイルもこれを踏襲したといわれています。 |