当廣見寺は、本寺岩手県奥州市正法寺2祖月泉良印禅師の高弟天光良産大和尚が明徳2年(1391)開創した秩父郡市の曹洞宗寺院では最初の寺院であります。(埼玉県でも2番目)その後、2世東雄朔方大和尚が8ヶ寺、3世端山守的大和尚が7ヶ寺、4世大雲宗守大和尚が2ヶ寺、5世真雄正顛大和尚が4ヶ寺、6世天秀彭盛大和尚が13ヶ寺と末寺を開き、秩父市、横瀬町、旧荒川村に教線を展開し、確固たる地位を築きました。
天正18年(1590)徳川家康公の関東入府に伴い、徳川家より御朱印10石を賜りました。曹洞宗では、清泉寺(旧吉田町)5石、金剛院(旧吉田町)、光源寺(小鹿野町)3石、光明寺(秩父市)3石が、それぞれ与えられました。石数からも廣見寺が筆頭寺院であったことが窺えます。
また、秩父34ヶ所観音霊場とも関係が深く、札所1番妙音寺(現四萬部寺)10番大慈寺、13番慈眼寺、15番蔵福寺(現少林寺)、19番龍石寺、25番久昌寺と6ヶ寺末寺となっており、本寺としての影響力もあったものと思われます。正徳4年(1714)の午歳総開帳の時に日野沢大通院と協力し、門前に坂東堂を建立し(大通院は西国堂)総開帳事業を支援しました。 |