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廣見寺の歴史

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廣見寺の歴史
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開山天光良産禅師の廣見寺開創
二世東雄朔方さまの活躍
三世端山守的さまと札所一番の大施餓鬼会
信玄焼きと清泉寺への帰属〜十五世中興月珊春明さまと正法寺への帰末
二十五世鐵山祖印さまと大本山総持寺への輪住
開山天光良産禅師の廣見寺開創
 
 廣見寺は、明徳2年(1391)本寺正法寺二祖月泉良印禅師の高弟である天光良産(てんこうりょうざん)禅師によって開かれました。秩父地域の曹洞宗寺院では1番初めに開創され、埼玉県でも、飯能市にある*長光寺などと共に最古の寺院に属します。
 良産さまが、どのような経緯で廣見寺を開かれたかは、その語録によって知ることができるのですが、残念ながら、戦国時代の武田軍の兵火によって焼かれてしまったので定かではありません。ただ、江戸時代中期、十四世大梁禅棟(だいりょうぜんとう)さまによって書かれた「廣見寺記」によってそのよすがを知ることができます。その部分をご紹介いたします。

*長光寺…良産さまの兄弟子にあたる通海良義禅師が開かれた。 良産さまは、この寺の二世になっている。

本寺正法寺
     
天光良産さまと龍(妙見菩薩)
  現在の秩父地区総合技術高校(旧 県立東高校)の東側丘陵地に、少し窪んだ平地があります。地元の人は、昔からこの土地を「音窪(おとくぼ)」と呼んでいます。昔此処には、大きな池があり、その主として龍が棲んでいて、人々に恐れられていました。
  そんなことは何も知らない一人の旅の僧が、この地が気に入ったということで、その麓に小さな庵を建てました。
  ある日、僧が1人で坐禅をしていると、突然空が黒雲におおわれ、雷は鳴り響き、雨は槍の如く降り注ぎ出しました。そして、黒雲の間からかの龍が青黒い体をくねらせながら僧の前に現れました。しかし、かの僧は少しも怯むところなく黙々と坐禅をしていました。その様子を見た龍は、自分の姿を見て少しも動じないところをみると、よほど偉いお坊様に違いないと思い、角をおさめ、頭を垂れて説法を請いました。すると、かの僧は、懇切丁寧に法を説き、正しい生き方を教え、最後に仏戒を授けられました。龍は、お礼を言うと嬉しそうに僧の前から姿を消したそうです。
     
  それから数日が経ち、 1人の若者が僧の前に現れました。恭しく礼拝し、
「私は、山腹の池の主です。先日、和尚の慈愛溢れる説法を聞き、永年の迷いを晴らすことができました。お礼にこの地を寄進しますので、寺を建てて人々のために法をお説き下さい。そうしていただければ、私は、永遠に寺をお守り致します。」
といって、龍に変身して荒川の淵に消えていったそうです。

  この僧こそが天光良産さまで、龍は妙見菩薩の化身だといわれております。古来より、廣見寺では妙見菩薩を鎮守(寺を守る土地神)として尊崇しており、門前の妙見堂をにお祀りしてあります。
  この開山さまと龍(妙見菩薩)のお話は、そのまま廣見寺と秩父神社(妙見宮)の関係を示唆したものでもあります。先ほどのお話の最後に、龍が荒川の淵に消えたとありますが、毎年7月に行われる川瀬まつりの御輿洗いはこの淵(妙見淵)で催されますが、起源はこの話にあると廣見寺では伝えています。
  また、廣見寺では、何時の時代からか定かではありませんが、明治以前まで毎年2月初寅の日に、末寺の住職を伴って神社に詣でて法要「虎懺法(とらざんほう)」を修行していました。そして現秩父神社宮司家である薗田家は、明治初年の神仏分離令以前は廣見寺の檀徒であり、墓地も境内西墓地中央にありました(現在は札所15番北側の薗田家墓地に移転している)。古い過去帳を調べてみると、廣見寺開創時代の薗田家先祖の戒名が見られ、当初より秩父神社並びに薗田家と深い結びつきがあったものと考えられます。また、現在の札所15番の敷地に、1460年頃末寺蔵福寺(明治の廃仏毀釈によって廃寺となる)が開かれ、神社との関係を密にしていったことが窺えます。
  もう2つ廣見寺記の中に、開山さまの逸話がありますので、ご紹介いたします。それは、廣見寺西側地区、大畑町小字にある「斎戸(さやど)」の名の起こりと龍灯杉の話です。

  廣見寺は下宮地地内にあり、戦前までは南側に広大な田畑が広がっており、札所18番西側の根岸家が1番近い家だったそうです。それに比べて西側は裏大門を出ると旧道にあたり、民家も多く、通用門として使っていたようです。現在の江原本店、江原製石の間の道を左折すると、約50m行ったところに小さな橋がかかっています。この橋を斎戸(さいど)橋といいます。
  開山さまは、裏大門を通り、この橋を渡って托鉢にでて、多くの方を済度(さいど)したということです。この済度と言う言葉が、いつのころからか変化してサヤドという方言になったものと思われます。
     
  龍灯杉の話とは、昔、廣見寺の門前(現在の大畑町小澤猛氏宅前)に大きな杉がありました。この杉の嶺に毎夜、煌々と灯りがともったそうです。これは、かの龍が開山さまの徳を讃え、この寺にはすばらしい和尚がいるから問法に来るようにと灯した明かりだといわれており、かの杉を龍灯杉といったということです。残念ながらその杉は枯れてしまい、三十世大宏さまによって2代目龍灯杉が、門前妙見堂前に植えられています。
  このように開山天光良産禅師の名声は、次第に広まっていき、開山さまを慕う人々が集まり、僧団を形成し、寺としての形が作られていったものと思われます。そして、二世朔方(さくほう)さま、三世守的(しゅてき)さまの末寺開創の発展期へと続いていくのです。

 

門前妙見堂


●廣見寺世代表

世代
和尚名
示寂年月日
備考
他寺院住職
特記事項
開山 天光良産大和尚

永享4年(1432)3月24日

  長光寺二世
 
2世 東雄朔方大和尚 明應2年(1492)8月15日    
源蔵寺 龍石寺 慈眼寺(札所13番) 蔵福寺(札所15番) 大慈寺(札所10番) 浄光寺 阿弥陀寺 円通寺各開山
3世 瑞山守的大和尚 弘治元年(1555)9月5日    
妙音寺(札所1番) 法雲寺 端岩寺 泉福寺 宗福寺 満光寺 向澤院各開山
4世 大雲宗守大和尚 天文15年(1546)2月5日    
昌安寺 昌福寺各開山
5世 真雄正顛大和尚 元亀3年(1572)5月22日    
爪龍寺 見東院 久昌寺(札所25番) 向陽寺各開山
6世 天秀彭盛大和尚 文禄2年(1593)11月23日    
陽向寺 宗源寺 三光院 東林寺 慈雲庵 慈眼寺(浦山) 真光寺 孝岩寺 普光庵 陽岳寺 地西庵 永福寺 東光寺各開山
7世 照月全達大和尚 慶長15年(1610)8月23日    
 
8世 清翁全吉大和尚 慶安4年(1651)1月17日    
 
9世 額岫是伯大和尚 寛永8年(1631)6月14日    
慶長12年頃より寛永8年頃まで約27年間
前住 泰庵きょう国大和尚 不詳    
迦葉山に転住 寛永8年頃より正保4年頃まで約17年間
10世 天紹寅尭大和尚 寛文元年(1661)12月23日

 

 
慶安元年頃より万治3年頃まで約13年間
11世 亀山芳鑑大和尚 延宝元年(1673)12月14日    
寛文元年頃より12年頃まで約12年間
12世 祥山永祝大和尚 宝永3年(1706)6月8日    
延宝元年頃より宝永元年頃まで約30年間
13世 勇岳恵泉大和尚 享保18年(1733)7月24日   妙音寺より
宝永元年頃より3年まで3年間
14世 大梁禅棟大和尚 宝暦2年(1752)1月16日    
宝永3年より元文元年まで31年間
15世 月珊春明大和尚 宝暦13年(1763)11月16日    
元文6年より延享4年まで7年間
16世 伝外慧燈大和尚 宝暦7年(1757)8月8日    
延享4年より寛延4年まで5年間
17世 雲蓋英(永)方大和尚 宝暦6年(1756)10月3日    
宝暦元年11月より7年までの7年間
18世 大量英器大和尚 天明6年(1786)9月11日 14歳 妙音寺より
宝暦7年より明和7年まで14年間
19世 大庵正道大和尚 寛政元年(1789)11月8日 82歳 龍石寺より
明和7年1年間
20世 天隆壽門大和尚 天明元年(1781)2月22日 57歳  
明和8年より安永10年まで11年間
21世 豪産祖英大和尚 天明6年(1786)7月7日 65歳 妙音寺より
安永10年4月より天明6年まで6年間
22世 聖巖宏道大和尚 文化3年(1806)1月8日 76歳 般若寺(静岡)
天明6年10月より寛政12年10月まで15年間
23世 大珍見宗大和尚 天保2年(1831)2月11日    
寛政12年11月より文化元年10月まで5年間
24世 要津不山大和尚 文政8年(1825)1月11日   妙音寺より
文化元年11月より文政5年正月まで20年間
25世 鐡山祖印大和尚 嘉永5年(1852)4月7日   妙音寺より
文政6年正月より弘化2年1月まで23年間
26世 崇岳隆峰大和尚 元治2年(1865)2月26日   慈眼寺より
弘化2年2月より安政4年5月まで13年間
27世 透林祖関大和尚 慶応3年(1867)11月14日   大通院より
安政4年5月より慶応元年11月まで9年間
28世 守道大謙大和尚 明治31年(1899)5月11日 73歳 瑞岩寺より
慶応元年11月より明治31年まで34年間
29世 智覚大圓大和尚 大正9年(1920)10月1日 76歳 瑞岩寺より
明治31年8月より大正9年6月まで15年間
30世 智浄大宏大和尚 昭和46年(1971)4月1日 83歳 妙音寺より
大正9年7月より昭和41年10月まで46年間
31世 守徳大謙大和尚     東昌院より
昭和41年10月より平成10年10月まで34年間
32世 智徳廣文大和尚 (現在)   浄光寺より
 

●廣見寺末寺表


 
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