(鉢形城歴史館オープン) 平成16年10月16日 | |
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展示内容は、鉢形城の模型と映像で、歴史と遺構を詳しく解説してくれます。その他の事は、パネルと映像で説明してくれます。発掘品に関しては、2ケース展示されてますが、八王子城などと違い、開城でしたのでやはり少なかったみたいです。鉄砲の玉は只今4個発掘された様ですが、外曲輪の水田化した水堀を発掘すれば、多くの玉が発掘されると思います。現段階も発掘調査が進行中ですので、今後も楽しみに待ちましょう。 今回年二回行われる特別展が行われていて、秩父郡吉田町椋神社に奉納されている、氏邦所用の「筋兜」や、鎌倉時代の武蔵七党の中心的勢力だった秩父氏の子孫で、鉢形城の秩父曲輪に屋敷があった秩父孫次郎重国所用の「五枚胴具足」が展示されていて(いずれも本物)、直に見れた事が大変嬉かったです。 |
(本丸) |
![]() ![]() (左:本丸 後方は荒川の断崖、右:石垣) |
本丸の部分は、3つの郭に分かれていて、北条氏邦が入る前の鉢形城は、本丸の部分だけだったろうと言われています。3つの郭はそれぞれ堀切により区切られ、荒川側には土塁があります。 |
![]() ![]() (左:本丸と御殿下曲輪間の土塁、右:本丸の井戸址) |
![]() (本丸から、秩父方面を見る〉 |
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(御殿下曲輪) |
![]() ![]() (左:櫓台、右:井戸) |
![]() (水堀) |
本丸のすぐ横に(本丸より低位置)有るので、こう呼んだのでしょう。ここには今も水を湛える水堀が残ってます。しかし、御殿下曲輪の大部分は県の林業試験場となっています。 |
(二の丸、三の丸間の馬出し)現地説明会にて |
![]() ![]() (左:河原石の石垣、右:馬出し横の空堀) |
![]() ![]() (馬出し全景) |
二の丸と三の丸の間には深い堀が有り、必ずこの馬出しを通らなければならなかった様です。三の丸と馬出しの間 には堀が有り、そこを木橋で繋いであった様です。図には出てませんが、馬出しの右側には櫓が有り(現在の城山 稲荷神社部分)、敵が馬出しに侵入すると、二の丸、櫓から一斉に攻撃出来る様な仕組みになっていた様です。
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![]() (2001年5月27日現在の馬出し(現在城山稲荷神社のある、櫓台より撮影。) |
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左の写真の馬出しの虎口より、三の丸へ木橋が掛けられていたと思われます。右の写真は、馬出しから二の丸の 櫓(現在城山稲荷神社)がある所まで繋がっていた、土橋。
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![]() (二の丸、三の丸間の空堀。後方は馬出し。) |
![]() (二の丸、三の丸間の馬出に、遂に橋が架かりました。平成14年3月11日現在) |
![]() ![]() (左:二の丸、三の丸間の空堀) (右:二の丸秩父曲輪間の馬出しの空堀 平成15年2月12日現在) |
![]() (現在の二の丸、三の丸間の空堀) |
(三の丸 通称秩父曲輪) |
![]() ![]() (河原石で作った石垣) |
この秩父曲輪の石垣も、河原石で出来ています。3ヶ所に階段が作られていましたつまり、石垣で内側を固めた土 塁の上からも、攻撃出来た見たいです。この土塁の前にも馬出しが有り、敵に対する防御がかなり見られた様です 。(図面の右端の部分は櫓台。)
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![]() 秩父曲輪の館の発掘風景 (平成12年10月1日現在) |
![]() ![]() (復元が進む、秩父曲輪の石垣 平成15年2月12日現在) |
![]() ![]() (左:秩父曲輪から前方の馬出し(諏訪神社)に通じる虎口が出来ました。) (右:秩父曲輪馬出し間の空堀) |
(鉢形城秩父曲輪に建設中の平御門。塀は、土塀の様になっています。平成16年2月28日現在) |
(左;元井戸があった場所には、池が出来るらしいです。後方は休憩所を建設中。右;復元された井戸。) |
![]() (発掘調査の終了した、二の丸三の丸に解説版が付きました。平成16年10月16日現在) |