(大手付近 通称逸見曲輪)

(左:諏訪の池、右:水堀跡で、中央の土盛り部分に弁天様があったと言います。)

(左:八間櫓台、右:水堀)

(大手部分の空堀 平成15年5月25日現在)
大手方面だけは、陸続きとなっていて、多くの人工的な防備がしてあります。水堀跡には小高く土盛りが残ってい て、そこに弁天社が有った所だと分かります。諏訪の池からは、銅鐘が出て来た事が有るそうです。大手付近の空 堀は、かなり深いです



(笹曲輪)
こちらは、大手(表門)の逆に当たる、搦手(裏門)に当たる所。笹曲輪とは、城内を見透かされない様に、竹林 になっていたのでこの名が付いたと言います。今は竹も無く、芝が植えてあり広場となっていて、笹曲輪の回りに は木で柵が作ってありました。水野石見守長勝の屋敷があった所で、長勝の館跡が寄居町の赤浜に、今も残っています。
左記の写真は、本丸から笹曲輪へ向かう途中にある虎口です。右記の写真は、笹曲輪から本丸に向かう通路で、こ こも発掘調査がされており、やはり河原石を使用した階段が発見されました。
(笹曲輪に模型が出来ました。これの精巧な物が歴史館の中にあります。平成16年10月16日現在)

(長久院跡)
北条氏邦の、先勝祈願所だったと言われています。



(外郭)

(左:外郭搦め手の水堀跡、右:左と同じ所には、水堀跡と昔の小路が残ってます。)

(土塁)
この土塁の前面には、空堀や水堀があります。土塁の上は広く、土塁上からも攻撃出来たと思われます。

(左:外郭土塁の登り口。以前ここは土塁と水堀の切れ目で虎口があったらしい。)
(右:外郭米蔵跡に建てられた、鉢形城資料館)

(深沢川)
鉢形城は、天然の水堀代わりにもなっている、深沢川を挟んで対岸にも外郭として、土塁や空堀や水堀を作ってい ます。それは鉄砲により、城内を直接攻撃されるのを防ぐ為だと言われています。さらに、内宿、殿原小路、鉄砲 小路、連雀小路、鍛冶小路、寺町なども有り、小規模ながら城下町が出来ていた様です。現在鉢形城は、発掘調査 が盛んに行われていて、将来は城跡公園に成ると言う事です。

(左:車山で、徳川家康の家臣で本田忠勝が陣を張った山です。)
(右:愛宕山で、こちらも徳川家康の家臣で鳥居元忠が陣を張った山です。)
車山の山頂より28人持ちの大筒で、鉢形城の寺町や大手を攻撃したと言います。鉢形城落城の謎を秘めている山で す。