仙元峠
- せんげんとうげ -
標高1444m
(2004年12月8日)

【コース】林道(広河原逆川線)→仁田山→51号鉄塔→日向沢ノ峰→蕎麦粒山→仙元峠→林道

祠のたたずむ静かな山頂
蕎麦粒山から西に稜線を進むと、次のピークが仙元峠です。

仙元峠と名がつくものの、ひとつの山頂です。


ちなみに仙元峠の歴史は、さきたま双書『秩父の峠』(著・大久根茂)が詳しく、色々と昔の言い伝えなどが記されています。

おかげで、いにしえに思いをはせながら山行を楽しむことができました。

この本は雁坂峠・妻坂峠・八丁峠なども網羅していて、とても面白いのですが、残念ながら現在は絶版だそうです。


蕎麦粒山の山頂を後にして、急坂を下りきると、すぐに分かれ道に出会います。

巻き道のほうは、仙元峠の勾配を避けて、さらに西へ続いています。

今回は右手の上り坂へ進みました。
よく踏まれた急坂を登りきると、すぐに山頂の札に到達します。

噂どおり、「峠」と名がついているものの、どう見ても明らかに山頂です。

一説によると、これが古い形の「峠」というものなのだとか。

またある説では、これは「仙元ドッケ」なのだとか。

色々解釈のあるところがまた面白いものです。
山頂は古い祠と、新旧の道標があります。

祠前が少し開けていますが、昔はここで神様に奉納する相撲をやったとか。

そんなには広くなさそうですが・・・。
祠は、浦山の炭焼きたちが信仰する浅間大神(富士山の女神・木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと))が祀られているのだそうです。

浦山の神様なのになぜ、祠は奥多摩側を向いているのでしょうか?

それは、浦山の人々がここに来る時、細久保谷から一杯水付近の縦走路まで登り、この仙元峠に登ってきたからだそうです。

そちらから登ってくれば、確かに祠の真正面に出ることになります。

またこの祠には、なぜか奥多摩の人の名が刻まれているそうですが、この日は確かめることができませんでした。

なぜ奥多摩側の人の名が刻まれているのかは、あまりに古い話のため不明です。
山頂からは北に下る道があります。

これはまっすぐ浦山に下る道で、浦山大日堂に到達するのだそうです。

登り3時間程度の道だそうですが、いつかは歩いてみたいものです。
仙元峠から西へ下ると、三つドッケに向かう巻き道と合流しました。

三つドッケにもいずれは行ってみたいのですが、本日は時間切れ。

記念に道標をカメラに収めて、下山を開始しました。

ここからさらに先へ進むと、天目山(三つドッケ)や一杯水避難小屋へつながり、さらにはるか雲取山を終点とするまで道が

続いているのですが、帰りの時間を考慮するとこの辺が潮時です。

ということで、下山の途につきました。

帰りは仙元峠の巻き道を通過したまでは良かったのですが、さらに蕎麦粒山の迂回ルートも歩いてみようと目論んだところ、

作業林道なのか意外と道が複雑に分岐していてよく分からなくなりました。

仕方なく道を外れて、道なき斜面を北上して、防火帯の道に復帰。 

無事、マイカーまで戻ることができました。