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著者(神田琴二)
昭和9年(1934年)埼玉県秩父郡大田村大字 太田に生まれる。 慶応義塾大学文学部卒業。 公立中学校教員を平成7年定年退職。 現在、埼玉県緑の推進員。 埼玉県立自然史博物館友の会理事。 秩父市文化団体連合会理事。 (草笛)同人。 日本児童文学者協会会員 |
神田琴二著作[赤平川の詩]のご紹介
赤平川
埼玉県秩父郡誌によると赤平川は、荒川の支流で、その源は二つあります。 一つは、両神山の南麓から流れ出る小森川で、もう一つはその北麓からの薄川 です。 二つの川は、両神村大字薄地内で合流し、小鹿野町で三山川を加えて 初めて「赤平川」と称され、下流で更に吉田川を加え皆野町地内で荒川に 注ぎます。 秩父土木事務所によると、現在の管理上の赤平川本川は、秩父郡 小鹿野町河原沢字坂本地内から皆野町大淵で、荒川に注ぐ地点までの距離 約30.8キロメートルです。
主人公、知二郎
戦時下の秩父にて育ち、知二郎の家は秩父の農山村(現在の秩父市太田) にある。 田畑、養鶏、養蚕の仕事をする祖父母と両親と、知二郎兄弟妹の 三世代の家族が同居し子供たちも、家の仕事を手伝いながら、空襲が続く 日々の中、日本が負けるはずがないと信じ、厳しい戦争時代を生きた。
目次
・おたふくかぜ/地下室/養鶏/オタマさんの菅傘/ 祭りの日/久おじい/落穂の季節/父の出征 ・あとがき ・すばらしい家族と地域と大人達(木暮正夫氏)
著者あとがきより抜粋
私は、山や川が大好きです。 大袈裟ではなく、周囲に山や川が無ければ 生きていけないという心情にいつもあるということです。 青年時代、ただ眺めているには飽き足りず、週に一度は必ずといってよいほど 秩父の山岳を中心に登山をしました。 現在、私が埼玉県緑の推進委員として 環境保全と自然保護のために時々山歩きしているのも、ごく自然の成り行きだ と改めて思うのです。 この赤平川の詩は、戦中のまだ穏やかさの残っている 頃から激動の時代を経て、戦争の終結に至るまでの少年期の体験を基に フィクションとして再構築した小説です。
素晴らしい家族と地域の大人たち
『赤平川の詩』は、知二郎少年の成長物語です。 時代が時代でしたから、戦局や戦争が及ぼした戦時色が投影されているものの作者としては、それを極力おさえています。 知二郎の家は三世代同居の大家族で、祖父母と両親と子供四人の八人家族でした。 うらやましいのは、知二郎が、両親のみならず、祖父母からも、たくさん教えられた事です。 戦時下の秩父に育つ知二郎とその家族、地域の人たちの編みだす『赤平川の詩』は古里の香りも、運んできます。
本書、小暮正夫さんの「解説」より抜粋 |
画家紹介(石橋城呉)
自然大好き人間・自然の植物を描き、自然の 植物と遊び、自然の恵みを頂いて生きていた 昭和20年代の人の暮らしを画と方言とて綴り また3000メートルの高山に自然を求め、田舎の セコ道に昔を見つけて黙々と一人で歩く事も 大好きな人間です。
個展 ・望郷、野草スケッチ画展 ・秩父っことば詩画展 著書 ・野の花とあそぶ(幹書房) ・秩父っ言葉あちゃむ詩だんべ絵 (秩父プリント社) ・植物を描く会(水彩) ・草木花遊びの会・秩父言葉を楽しむ会等の 主宰をしております。
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2001年10月15日 第1刷発行 全国有名書店にてお買い求め頂けます
著者 神田 琴二 画家 石橋 城呉 編集・発行 早船 ぐみお 発行所 株式会社 けやき書房 〒186−0002 東京都国立市東4−9−5 рO42−577−3061 FAX042−577−3062 メールアドレス keyaki_s@d9.dion.ne.jp
写 植 株式会社 P&G 印刷・製本 モリモト印刷株式会社 お問い合せ 著者 神田琴二 kotoji88@chichibu.ne.jp 出版物に関するお問い合せは、上記けやき書房宛お願い致します。 |
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