『熊倉城』
(左:大手付近の石垣跡?、右:三の丸と本丸の境の空堀。中央部分は土橋)
○場所 埼玉県秩父郡荒川村大字呑だ熊
○残存遺構 本丸、二の丸、三の丸、空堀、堀切、土橋
熊倉城(日野城)は、熊倉山(1427m)の中腹に有ります。秩父郡一帯は後北条氏が入る前は、上杉氏が領土にしていました。文明8年(1476)に、上杉氏の家臣である長春は叛乱を起こし、鉢形城を修復して入りました。しかし、文明10年に、上杉氏の家臣の大田道灌に攻められて、長尾景春は秩父に落ち延びました。その後、秩父に落ち延びた長尾景春は、塩沢城(両神村)、熊倉城、長尾城(秩父市黒谷)などの城を転々としたと伝えられています。塩沢城では夜討ちにあい、熊倉城では水源を断たれて落城したと伝えられています。詳しくは分かりませんが、秩父市黒谷には長尾景春のお墓と伝えられているお墓が残っています。ちなみに城下には、馬立、一ノ木戸、大旗、飯米場、矢の沢、小畑陣など多くの城や合戦による地名が残っています。残存遺構も、手が加えられる事無く素晴らしい状態で残ってますので、一度行って見ては如何でしょうか。しかし、熊倉山の中腹とは言え標高648mの場所にこの城は有りますので、それなりの覚悟は必要です。現地に着けば、良くこんな高い所に城を作ったと驚かれると思います。県指定重要遺跡
平成17年6月5日現在
(本丸、三の曲輪間の空堀) (本丸、二の曲輪間の空堀)
(大手から三の丸を望む) (大手の空堀に残る石垣らしき物)
以前は麓から歩いて登った熊倉城ですが、現在は林道を車で走り、城跡のすぐ近くまで行けます。こんな楽な山城見学は他にはありません。車から降りるともう熊倉城って感じです。と言ってもこの林道、何年も前には出来ていた訳ですが、台風とかが来ると道が崩れてしまい、道路工事の為に中々車で行けませんでした。学生時代、麓から直登してやっとの事でついた熊倉城でしたが、今回行って見て以前見たより大きく感じられました。城内は整備され、熊倉城の説明版もあり、空堀や土塁もよく分かる様に整備されていました。今回行って見て感じた事ですが、やはりここも北条氏の時代、寄居の鉢形城の出城として、武田氏の秩父侵入の防備の為に使われていたんではないかと思いました。城の規模といい、遺構といい現在残っている物は、長尾景春の時代の物では無い様に思われました。


《城下の地名
1、 源田屋敷 家老の住んでいた所だと言う。
2、 おけさ屋敷 門番の住んでいた所だと言う。
3、 鳩の湯 戦で負傷した武士が、ケガをした鳩が体を洗ってるのを見て、自分も洗って見た所、3日でケガが直ったと言いいます。こ
れが今の、鳩の湯鉱泉の由来だそうです。
4、 馬立 兵馬の訓練した所だと言います。
5、 松葉 的場が訛って松葉になったと言い、弓を訓練した所だと言います。
6、 大旗 景春の本陣があった所だと言います。
7、 矢の沢 戦の際に矢が飛んで来た所と言います。
8、 矢竹 弓矢の矢を作った所だと言う。
9、 墓場平 昔、墓碑が幾つか有ったと言う。
この他にも、まだまだ多くの地名や伝説が沢山、熊倉城の回りには残っています。