『塩沢城』
 
(左:塩沢城遠望、右:三の丸)
◯場所 埼玉県秩父郡両神村大字薄塩沢
◯現存遺構 本丸、二の丸、三の丸、かきおろし、腰曲輪、水の手
塩沢城と言えば、やはり長尾景春と関連がある城として有名です。鉢形城を大田道灌に落された景春は、この 塩沢城に移り再起をはかったと言われています。しかしこの塩沢城も、地元の武将嶋村近江守や小沢左近に大 谷沢方面から夜討ちを掛けられて、あえなく落城したと言われています。(その事があり、今では大谷沢を夜 討ち沢と良く呼ばれてます。)のちに景春は熊倉城へ移ったと言われていますが、実際はどっちが先に落ちた のかは良く分かっていません。
  
(左:当時からの物か?虎口らしき所に石垣が。右:二の曲輪)

(長尾山稲荷神社)
上の写真は、景春が城の守りに祀ったと言われている、長尾山稲荷神社です。この神社の駐車場から城跡への ルートがあります。一本道ですので迷う事はありません。暫く進むと広い平坦地があり、虎口らしき所があり ます。そこを抜けると、見事な掻き下ろしがあり、その中を右へ左へと蛇行しながら進むと三の丸に到着します。三の丸はかなり広く作られています。(別名相撲場)三の丸、二の丸間に堀切りらしき物がありますが良く分かりません。二の丸は見事に平坦地になっていて、曲輪である事がはっきり分かります。そこからさらに直登して本丸へ。(鐘撞場)よく山城で見かける、修験関係の石碑があります。その本丸を全方に下ると、堀切りがあります。


(塩沢城の伝承)
1、甲冑塚 景春が塩沢城より逃げる時、ここに甲冑を埋めて民衆の姿になり熊倉城に逃げたと言います。
2、なべ落し 落城の時、なべを捨てていった所だと言います。
3、弁当箱 塩沢の坂本さん宅に、最近まで景春の弁当箱があったと言います。
4、常木 馬を繋いだ所だと言います。
5、乳児切り坂 落城の時に景春の妻子が馬に乗り塩沢方面から逃げたところ、敵に見つかり、矢で射殺されたと言います。その
事が在り、この坂を乳児切り坂と言い、今でもこの坂に馬を乗り入れないと言います。