《日尾城》 県指定重要遺跡

(日尾城遠望)
◯場所 埼玉県秩父郡小鹿野町大字飯田字城山
〇現存遺構 本郭、八幡郭、物見郭、出郭、出丸、掘切
日尾城は、小鹿野町の小賀坂峠を見張る鷹谷砦と、吉田町の土坂峠を見張る女部田城の丁度中央辺りにあり、3城 共に武田軍の侵入に備えて作られた城です。(日尾城は、秩父地方が上杉氏の管轄下にあった時代から在りました が。)この城は鉢形北条氏邦の筆頭家老、諏訪部遠江守定勝の居城です。 永録12年の武田軍との戦いでは、こんな話が残されています。 武田軍の別動隊、山県三郎右兵衛尉昌景が日尾城を攻めた時、定勝は酒好きの為に泥酔していて、奥方が代わりに 城兵を指揮して戦い、武田勢を追い払ったと言います。以後、定勝は禁酒したと言います。(三山谷の戦い)
 
(左:八幡郭、右:物見台)
八幡郭は、高さ2m程の土塁が残り、樹齢約400年の松の大木や、城山八幡社や史跡日尾城跡の碑が残っています。 物見郭は、櫓台の下に曲輪を設けていて、この辺の雰囲気は非常に良く、正に城に来たと言う感じがしました。ま た遠望が良く、ここに櫓を設けた事にうなずける場所です。
 
(左:本郭、右:大堀切)
本郭は、三段の平坦地となっていて、周りを八幡郭、物見台、出郭に囲まれていて、当時はこの場所に本郭があっ た物と思われます。本郭の南方にある大堀切は、近年の調査によると自然地形とされています。それにしても、深 くて垂直です。ここを牛首峠が通っています。さらに奥に進むと、出丸と掘切があります。 この城は、回りを急な崖や岩で囲まれていて、大変要害な地に在ります。倉尾ふるさと館の裏からの道が搦手で、 そこから直登で約20分。途中にロープでよじ登る箇所が3ヶ所あります。大手は根古屋地区からの道で、そちらは ハイキングコースになっていて良く整備されていますが、所々道が崩れていますので注意してください。城下の吉 田川は、下流に合角ダムが出来たので、湖の様になっています。尚、城下には根古屋、岩殿沢、殿谷戸、馬上など の地名が残っています。



《鷹谷砦》

(鷹谷砦遠望)
◯場所 埼玉県秩父郡小鹿野町大字三山字皆本
〇現存遺構 本丸、空堀、木戸跡
この鷹谷砦は、志賀坂峠を見張る鉢形北条氏の最前線の砦です。日尾城の所でも触れましたが、武田軍の侵入に備 えて作られた城です。この辺には武田軍との戦い(三山谷の戦い)による地名が多く残っています。軍平、兵原、鐘 撞堂、百騎平(後に桃ノ木平)、石落とし、堂屋敷、矢沢、稚児の宮、稚児の沢、納宮、法師落人など数々の地名が 昔話しと共に、残されています。
 
(左:虎口と前方に空堀、右:空堀)
この鷹谷砦を知ったのは、「秩父路の古城址」で知ったのですが、「日本城郭大系」などには載ってない余り知ら れてない城です。空堀、土塁、木戸跡(2ヵ所)など大変良く残ってます。本丸跡の石碑には、ちゃんと鉢形城の砦跡と言う事が、書かれています。前方には、ロッククライミングで有名な、双子山が見えます。



『奈倉氏館』

(左:奈倉氏館の図、右:石垣と虎口)

(八幡祠跡)
〇場所 秩父郡小鹿野町下小鹿野納蔵
現存遺構 石垣、八幡祠跡
奈倉氏は、畠山重忠の後裔加賀守行家が、この地に来て館を構え、小字の奈倉を氏としたそうです。八幡沢と赤平 川の合流地点に有り、赤平川沿いに石垣が残っています。(上図の色の濃い部分に石垣が残っています。)石垣の右 端の部分が櫓跡と言われ、中央に虎口があります。左端には八幡祠跡が残っています。 永禄12年の武田軍の侵入の時、5代下野守重則がこの館から出陣し、二度と館に戻る事がなかったと言う悲しい 話が残っています。秩父氏館のページでも述べましたが、秩父氏は八幡大菩薩を氏神様としており、ここ奈倉氏館 にも八幡祠の跡がある事から、やはり秩父氏の一族だと言う事が分かります。尚、秩父路の古城址(著中田正光氏) では、奈倉氏館は近くの妙見宮の所だと言っていますが、奈倉氏が秩父市内にある秩父神社より歓請したもので、 そこは館の跡では無いですので、御注意ください。