《第41回、寄居北条まつり》 平成14年4月14日

(まつり当日の布陣位置)
北条氏及び鉢形城好きな自分としては、来たい来たいと思っていたこのおまつりでしたが、今年念願かなって行っ て来ましたので、皆さんに当日の様子をお伝えします。(^-^)/ (イベントも各種ありましたが、ここでは合戦の模様だけをお伝えします。)

(左:玉淀河原に突然砦が出現、右;鉢形城本丸)

(左:玉淀河原に集合した甲冑姿の人達、右:写真撮らせて貰いました。女の子だけど、カッコいい。)
この日は約500人の方が鎧姿で登場。鉢形城の出城にちなんで、「花園城隊」、「金尾城隊」、「天神山城隊」、 面白い名前で、「武蔵野銀行隊」、「赤城銀行隊」、などがありました。鉢形城は、小田原城の出城でしたので、 やはり本家の「小田原市長」、「小田原市手作り甲冑隊」や、「小田原提灯まつり関係者の方々」、鉢形北条氏邦 の兄がいた城(八王子城)がある、「八王子観光協会の方々」もお越しになられてました。

(左:対岸の鉢形城勢を見つめる、豊臣北陸支隊、右:大筒を撃ち出した鉢形勢。)
午後1時30分、豊臣北陸支隊の大将「前田利家」より鉢形勢に、「5万の兵で鉢形城を包囲した。ただちに降伏して 城を開城しろと。」その言葉に対して鉢形城主の北条氏邦は、「徹底抗戦を宣言」し大筒を撃ち出した。(実際に鉢 形勢は3500人、豊臣北陸支隊は5万人と言われています。前田利家、上杉景勝、真田昌幸等凄いメンバー。)

(左:豊臣北陸支隊も大筒で応戦。しばらく続く。凄い迫力。空には狼煙見たいな花火がー。)
(右:鉢形勢が船で対岸に。切り込み隊。)

(左:対岸で戦う、鉢形勢、右:一端退いた鉢形勢を追い、鉢形勢の陣地で戦う、北陸勢。)
(中には、斬られて川に飛び込む人もいました。)

(左:良英和尚の説得で城を開城した氏邦、右:北条氏邦殿)
しかし、合戦の末藤田家の菩提寺「正龍寺」の良英和尚の説得で、和議となり、城兵の命を助けると言う条件で、 城を開城し明け渡したと言う事です。そうして、約1ヶ月余りの攻防戦の幕が下りたと言います。鉢形城主北条氏 邦は、前田利家に客分として迎えられ、金沢の地で亡くなりました。このおまつりは、この鉢形城の事を知らない 人も来て見て、「こんな歴史のある城なんだなー。」っと、実感して貰うのが目的の祭りだと思いました。自分の 地元にも関係があり、もしかすると自分のご先祖も、ここの鉢形北条氏邦の家臣だったかも知れません。そんな歴 史を持つ鉢形城が、自分は大好きです。只今、城跡は発掘調査が進み、将来城跡公園となります。外郭には博物館 が出来ました。(資料調査中の為、会館は平成16年頃だと言う事です。)

(左:木持十六騎隊の皆さん、右:可愛い子供の忍者隊)

合戦の後は、甲冑姿の仮装の表彰式があり、無事寄居北条まつりは終わりました。