《阿佐美氏館》

(正面の石垣)
〇場所 埼玉県秩父郡皆野町大字下日野沢字上の平
〇現存遺構 石垣、庭園
阿佐美氏は、鉢形城の北条氏邦に仕えていました。阿佐美伊勢守玄光は、永録12年の武田軍の乱入を上吉田 の女部田城にていち早く察知して、別名吉田の盾と言われた龍ヶ谷城に連絡した。この事で、北条氏邦寄り感 状と太刀を賜り、名前も朝見に変えたと言われています。伊勢守の息、伊賀守慶延は、横瀬町の根古屋城の城 代を務めていて、氏邦より加増を賜った古文書が残っています。今でも敷地内に二軒の浅見さん宅があるが、 阿佐美氏の子孫だと言います。石垣が素晴らしいので、是非見てもらいたい館跡です。
(町指定史跡)



《設楽氏館》
(左:2段の石垣、右:もう一つの石垣)
◯場所 埼玉県秩父郡皆野町大字金沢字小塚沢
◯現存遺構 石垣 井戸
今回で2回目の訪問となった設楽氏館跡。しかし、今回の訪問で疑問点が出て来ました。城館を説明している本を読むと、左写真が設楽館と説明していますが、この館跡から左斜め下方の所(約100m)に、もう一つの館跡(右写真)が有る事を知りまた。設楽氏とは、鉢形北条氏邦の家臣で、設楽金太夫の事と言われ、設楽氏以後は山口氏が居住していたと言われています。ちょうど今回訪問した時山仕事に来ていた山口氏の子孫の方に会い、館跡の案内をしてもらいました。話によると、左写真は山口氏で、右写真が設楽氏の館跡だと言います。確かに、左写真の館跡の上方には、山口氏の先祖のお墓が残っていたりしていますが、本当の所はどうなのか疑問が出てしまいました。左写真の館跡は、二段の石垣が素晴らしい形で残っていて、井戸は今でも水が満々と有る。右写真の館跡は、竹林の平坦地に成っていますが、山側に何ヶ所か石垣が残っいます。この館跡も、是非見てもらいたい館跡の一つです。



《浦山城》

(浦山城遠望)
◯場所 埼玉県秩父郡皆野町大字金沢浦山、同上土  
◯現存遺構 曲輪、堀切
浦山城は、この浦山地区で「せんげん山」と言われている山に在り、回りの山とは独立している山で、物見には適している山に在ります。本郭の両サイドに堀切を入れただけの簡単な城で、地元の方も言っていましたが、狼煙を上げる連絡用の城ではなかっったかと言われています。この城も、後方にある城峰山の石間城と同じく平将門伝説にも取り上げられる城です。只、ここから直接城峰山が見れないので、すぐ後ろの金沢城と言う城を経由して連絡を伝えたろうと言われています。又、北条氏の時代には、児玉の御岳城と皆野町の高松城の中間に浦山城が在るので、やはりその頃も狼煙を上げる連絡用の城ではなかったかと言われています。長瀞町の天神山城や寄居方面も遠望出来ますので、小さい城ながらかなり重要な位置にあった城だと思います。城の近辺には「城の日影」と言う地名も残されています。
 
(本郭の両サイドにある堀切)

(浦山城の後方にある金沢城山)