秩父宮記念市民会館
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午前8時30分〜
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秩父宮記念市民会館 称号の由来

秩父宮の称号の由来
 山の宮様、スポーツの宮様として広く国民から親しまれていた雍仁親王様(昭和 天皇の弟)は大正11年6月25日、御成年を迎えられました。
 その折、大正天皇の御意思により、秩父の名をおとりになって秩父宮を御創立な されました。(秩父宮雍仁親王殿下)
 秩父宮を御創立なされてからは、秩父郡市民はことさら宮様をお慕い申し上げる様になり、宮様も幾度となく秩父へおいでになりました。
 昭和28年1月4日図らずもご逝去。それ以来、宮様の御遺徳を偲び、秩父宮家 の特別な縁故地として、秩父に記念館の建設が待望されました。
  昭和42年埼玉県下で、第22回国民体育大会が開催されるについて、柔道競技 場として当会館が建設される運びとなり、スポーツの宮様として親しまれた御遺徳を生かし、昭和42年3月26日に完成しました。  また宮家との縁故を永く記念することとし、当会館の4階に、数々のご遺品と共に妃殿下御筆の「仁者楽山」を寄せて頂きました。 現在、それら数々のご遺品等は秩父神社へ納められています。

 秩父宮雍仁親王著書によりますと、時の官内次官関谷貞三郎氏より守秩寮総裁侯爵徳川頼倫氏に発せられた通牒に「雍仁親王殿下の宮号は秩父嶺の名に取りたまるるものなるが、秩父嶺は明治天皇の奠めたまえる帝都所在の武蔵国の名山にして、 殿下の住ませらるる青山御殿の西北遥に連れり。往古、景行天皇の御代日本武尊奥羽御平定の後、甲斐に入らせらるるや、往復共に此の地方を経由あらせられしは之を史乗に徴すべく、其の御遺蹟は秩父郡の各地に今猶存在し、古来御由緒もある地方の山なるを以て斯く御選定あらせられたるなり。」と秩父宮様の宮号の由来が記されてあります。
「仁者楽山」についての意味 智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ  ゛孔子は仁とは人間最高の愛情であって、人となるより仁者となれと教えている゛

秩父宮記念市民会館実績(皇族)

昭和42年3月(1967年)
 秩父宮妃殿下が、秩父宮記念市民会館落成式典にご出席のため、前日に秩父市内にてご宿泊され、翌日に秩父宮記念市民会館にお成り。次いで、同会場において埼玉国体柔道競技会リハーサル大会として第3回東日本実業団対抗柔道大会開会式にご臨席され、試合をご観戦されました。その後、秩父市営第一弓道場、秩父市立第一中学校、秩父市養護老人ホーム長寿荘、聖地公園等をご視察になり、秩父宮記念市民会館において御休憩の後、セメント工場をご視察されました。

昭和42年10月(1967年)
 昭和天皇・皇后両陛下が、埼玉国体秋季大会柔道競技ご観戦のため、秩父市役所でご昼食後、柔道競技会場の秩父宮記念市民会館に行幸啓。その後、横瀬町より武甲山を散策され、秩父市内にて御宿泊されました。

平成5年5月(1993年)
 天皇・皇后両陛下が、「彩の国さいたま」をご視察のため、秩父宮記念市民会館で県勢概要ご聴取とご昼食会が執り行われ、その後、秩父ミューズパークに行幸啓。

平成9年7月(1997年)
 秋篠宮・同妃両陛下が、「第35回全国スポーツ少年大会」開会式にご出席のため、秩父宮記念市民会館にお成り。前日には、秩父ミューズパークをご視察されました。