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日本泳法についてあるいはネクトンズの世界について 藤原充

外国にも立ち泳ぎや横泳ぎがないわけではありませんが、水泳において、諸外国に例をみない四泳法以外の日本独自の伝統的泳法群を「日本泳法」といい、広い広い水泳の世界でひとつの分野を形成しています。競泳だけが水泳ではありません。たとえば「着衣泳」も命を守る大切な水泳の技術であり、子供達が競泳よりも先に身につけるべき生存能力です。

「オープンウォーター・スイミング」も海外では大変親しまれている種目です。

「シンクロナイズドスイミング」や「水球」ももちろんです。

「ドルフィンスイミング」もシンクロの小谷実可子さんなどが楽しんでいるようです。これについてはネクトンズにおいても情報収集中ですが、まだ不十分です。皆さんの情報をお待ちしています。 (情報を持っているのに面倒がって提供してくれない読者さんにはこのニュースは今後送れません。 )イルカを愛することは水泳とは関係ありませんが、しかし、この水の惑星に生きていることを意識できるでしょう。

幕末の1792年、 林子平は『海国兵談』の中で「日本は海に取り巻かれていて、外国船はどこにでも来られるのだから油断はできない。それなのに長崎だけを警備して、江戸湾の入り口を固めないのはおかしなことだ。江戸の日本橋から中国・オランダまで一続きの海なのだ。」と警告・予言しました。鎖国の日本に外国船が相次いでやって来る前のことです。 七つの海と言うけれど、 彼の言う通りであり海はひとつながりなのです。

海のこちらが汚れることは、イルカのいる彼方までひとつながりの海が、そしてひとつの水の惑星の、雨が、朝露が、川が、わたくしたちの体内の水が汚れることにほかならないのです。

大陸移動説が説明するところの、かつて太古のむかしにこの星がパンゲアという単一大陸とパンタラッサというひとつの大洋であった時から、複雑に海と陸とが運動した今日まで、 この惑星の水はひとつながりなのです。(単一大陸では島から島まで横断泳ができませんね。)

ついでに言えば、 海はひとつではあっても、「海はいまだかつてひとつの国家のものだったことはことはない」し、「臆病者のものだったこともない」のです。谷川俊太郎さんの海というすばらしい詩の中の一節です。しかし海を横断泳することは、海をその人間が「制覇」することではありません。太陽の光さす海を楽しむこと、海の愛を、水を楽しむこと、そのかたちどおりの珊瑚礁の包み込む愛を感じることではないでしょうか。

「フィンスイミング」もダイビング系のスポーツとも言えますが水泳の一分野ともいえます。モノフィンを履けば、ヒトもイルカ・クジラのように泳げるんです。

「角乗り」「一本乗り」は水泳ではありませんが、人と水との関わり、水がなんとも抵抗の大きな、いかに粘っこいものであるか、同時に水がいかに流れやすくこまやかな流体であるか、水の不思議さ・おもしろさを実感できます。

水に浮かんだ大きな角材の上に、 まず立つことを覚えます。 完全にバランスが取れて「すっくと」立てた時というのは、角材もさざ波をたてないわけで、みなもに薄氷が張る瞬間のような感触が新鮮でした。立てるようになったら、次はまわしちゃうんです。

大きな角材が水の上に浮き、その上に平らに立てるということは、それだけ水に粘性があるということです。しかし、その角材を制して、ある速度で足を送り回転させたり、また止めたりできるということは、それだけ水がなめらかにゆるやかに押し流され波となる流体であるということです。わたくしはこのように「水の中でさまざまな動きを楽しみたい」と考えています。

さて、日本泳法という領域・分野にもいろんな泳法・競技・演技があります。お年寄りばかりがやっている訳でもありません。昨年、日本泳法大会を初めて見学しましたが青少年少女や大先輩達がすごい泳ぎ、素敵な動きを見せてくれました。ヒトが水面でこんなふうに振る舞えるものかと驚きます。今年も日本泳法大会は見ごたえのあるイベントとなるでしょう。

以上、今回はネクトンズの世界と日本泳法について考えてみました。

Copyright(C)1996 FUJIWARA Mitsuru


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