ドイツ民族はかつてローマと戦い、民族大移動にまた中世の大きな戦いにも、そして近世の宗教戦争にも耐えた。
さらにナポレオン戦争、自由戦争、そして第一次世界大戦にも耐えた。革命も乗り越えた。
ドイツ民族はかくして、この私をも乗り越えていくだろう。 |
(アドルフ・ヒトラー) |
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緒戦における兵力展開の失敗は、あとで修正することはできない。 |
(モルトケ) |
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「われわれ装甲部隊は、いつも側面をあけているから有利なのだ」
「つまみ食いをするな、突進せよ!」 |
(グデーリアン) |
敵地における機甲部隊の安全は、移動することにある。 |
(マンシュタイン) |
ハインツ・グデーリアン。ドイツ国防軍における機甲師団の創設に重大な役割をはたした。「装甲戦の神様」の異名をとる。
エーリヒ・フォン・マンシュタイン。フランス侵攻作戦「マンシュタイン・プラン」で参謀将校としての才能を示し、第三次ハリコフ攻防戦でさらに将帥としての巨大な資質を証明した。
ともに、第二次世界大戦のドイツ軍において、有数の名将とされる。 |
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「日々の生活と大いなる体験をともにした幾年かで、われわれは友となった。
この友情の絆は、君に命中した敵弾によっても断ち切ることはできぬ。
私の感謝と友情と全員の思いが、墓を越えて君を永遠の境へ送っていく。最愛の友よ、さらば!」 |
(マンシュタイン) |
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最後の一兵、最後の一弾まで戦うとよく言うが、それを実行したのは日本兵だけだった。 |
(ウィリアム・スリム) |
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「ソ連を救ったのは何よりも兵の粘りである。 苦しみに耐え、どんな西欧の軍隊をも参らせてしまうほどの条件下でも戦いつづける能力である」 |
(リデル・ハート) |
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きみの部隊が敵より数的に劣勢なら、敵に兵力を集結させる暇を与えず、移動中の敵を攻撃するがよい。 |
(ナポレオン) |
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すべてを守ろうとする者は、何も守れず。 |
(フリードリヒ大王) |
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ダンケルクの大敗北をみて、われわれは完全に震えあがった。しかしこれでよいのだ。
古来、イギリス人は、震え上がらなければ、クリケット、ラグビー、テニス以外のことを絶対にやらない国民だから。 |
(バーナード・ショウ) |
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生命は人間の持つ最大の武器だが、捨てることを惜しんだら武器にはならぬ! |
(チャールズ・ゴードン) |
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自分の祖父は普仏戦争のとき、モルトケの部下としてセダンで戦死し、父も第一次世界大戦時に同じ地域で戦死した。
自分がここで死ねば、我が家はセダンで死に絶えることとなる。 |
(ドイツ国防軍の第10戦車師団のある中隊長) |
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