名言 - Good saying -
第4篇

第4篇のテーマは、「軍事」です。

ここでは、主に近代戦史上の人物の言葉を紹介します。
画像と文章の配置に関連性はありません。
ドイツ民族はかつてローマと戦い、民族大移動にまた中世の大きな戦いにも、そして近世の宗教戦争にも耐えた。

さらにナポレオン戦争、自由戦争、そして第一次世界大戦にも耐えた。革命も乗り越えた。

ドイツ民族はかくして、この私をも乗り越えていくだろう。
(アドルフ・ヒトラー)
緒戦における兵力展開の失敗は、あとで修正することはできない。
(モルトケ)
「われわれ装甲部隊は、いつも側面をあけているから有利なのだ」
「つまみ食いをするな、突進せよ!」
(グデーリアン)
敵地における機甲部隊の安全は、移動することにある。
(マンシュタイン)

ハインツ・グデーリアン。ドイツ国防軍における機甲師団の創設に重大な役割をはたした。「装甲戦の神様」の異名をとる。

エーリヒ・フォン・マンシュタイン。フランス侵攻作戦「マンシュタイン・プラン」で参謀将校としての才能を示し、第三次ハリコフ攻防戦でさらに将帥としての巨大な資質を証明した。

ともに、第二次世界大戦のドイツ軍において、有数の名将とされる。
「日々の生活と大いなる体験をともにした幾年かで、われわれは友となった。

この友情の絆は、君に命中した敵弾によっても断ち切ることはできぬ。

私の感謝と友情と全員の思いが、墓を越えて君を永遠の境へ送っていく。最愛の友よ、さらば!」
(マンシュタイン)
最後の一兵、最後の一弾まで戦うとよく言うが、それを実行したのは日本兵だけだった。
(ウィリアム・スリム)
「ソ連を救ったのは何よりも兵の粘りである。 苦しみに耐え、どんな西欧の軍隊をも参らせてしまうほどの条件下でも戦いつづける能力である」
(リデル・ハート)
戦争は賭博行為である。
(クラウゼヴィッツ)
きみの部隊が敵より数的に劣勢なら、敵に兵力を集結させる暇を与えず、移動中の敵を攻撃するがよい。
(ナポレオン)
すべてを守ろうとする者は、何も守れず。
(フリードリヒ大王)
ダンケルクの大敗北をみて、われわれは完全に震えあがった。しかしこれでよいのだ。

古来、イギリス人は、震え上がらなければ、クリケット、ラグビー、テニス以外のことを絶対にやらない国民だから。
(バーナード・ショウ)
生命は人間の持つ最大の武器だが、捨てることを惜しんだら武器にはならぬ!
(チャールズ・ゴードン)
 
自分の祖父は普仏戦争のとき、モルトケの部下としてセダンで戦死し、父も第一次世界大戦時に同じ地域で戦死した。

自分がここで死ねば、我が家はセダンで死に絶えることとなる。
(ドイツ国防軍の第10戦車師団のある中隊長)
「死せるトハチェフスキー、モスクワ前面の戦闘を指揮す」
(クルーゲ)
 
愛する友よ、しばらくだったな。そして、さようなら。
僕は生きていない。この手紙は僕が死んだときにだけ君に配達されるはずだからだ。

僕の死は遠くない。僕はそれを感じる。
あとどのくらいこの手紙がポケットにあるかはわからないが、遅かれ早かれ君のところに届くことだろう。君の学友の最後の思い出として。

君には話したいことがたくさんある。満たされぬ希望を洗いざらい君に訴えたい。
未知の死に対する恐怖をぶちまけたい。友よ、恐怖をだ。

死のあとに来るものが怖いのだ。どこでどう死ぬのか、それはわからない。
僕を殺すのがドイツ軍の機関銃弾か、爆弾か、砲弾の破片か、それもわからない――――どれにしても同じくらい怖い。僕は無数の死体を見た。

同じ飯盒から食事をしたばかりの戦友の、断末魔のうめき声をいくども聞いた。僕は数え切れぬほど死に直面してきた。
砲弾の破片で帽子を飛ばされたこともあった。スープの入った飯盒を射ぬかれたこともあった。

そのときは腹ペコだったが、いまのように恐怖を覚えたことは無かった。見たまえ、春だ。
この言葉を聞くと落ち着かない。ただの春ではないのだよ。

僕は二十歳になるのだ!二十歳…大人といってもいい。
自然が微笑み、鳥が鳴き、暖かい春風が吹くので胸が歓びで高鳴るときに、僕は死ぬために二十歳になるのだ…
(ドロゴブーシ近くで発見された若いソ連兵の死体のポケットにあった手紙)


戦史をひも解くとき、実際にかつて将兵の語ったとされる言葉に、尋常ならざる重みを感じることがあります。
軍人が、守るべきもののために戦う存在であるからでしょうか。

自他の生命を背負った人間の語る言葉に、むき出しの現実をかいま見るのです。