【妻坂峠の伝説・其の一】
この妻坂峠は、秩父→名栗→鎌倉と続く鎌倉街道の一部でもある。
鎌倉時代の武将・畠山重忠の妻が秩父に住んでいてこの峠を越え、現在の名郷で重忠と落ち合ったという。
そこから妻の坂という地名が付けられた。 |
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横瀬町側の妻坂峠登山口です。
車が入れるのはここまで。
スペース的には、2台程度しか置けないのでご注意を。 |
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登り始めてすぐのところです。
左側の路傍に、小さなお稲荷様があるようです。
ささやかな屋根と、きちんとしたお供え物があります。 |
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このようなつづら折の山道が続きます。
峠の頂上まで、私の足で登り40分前後です。 |
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途中、路肩が決壊した場所があります。
以前は地すべりに気をつけながら通過していたのですが、最近立派な丸太橋ができました。 |
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埼玉県の立てた「ゴミを持ち帰りましょう」などと注意書きのある青い看板が見えてくると、登りは残りわずかです。 |
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妻坂峠の頂上です。
以前はここに茶屋があったそうですが、今は跡形もありません。
名栗から秩父へ向かう生活道として、かつてはそれなりの往来があったのでしょう。
ここから10m四方あたりは、いつも名栗側から風が吹いています。
冬は急激に体温を奪われる危険地帯で、とても長居する気になりません。 |
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峠には、古い地蔵がひとつあります。(左写真・吹き出し位置参照)
重さは100`位あるそうです。
大持山へ行ったり、武川岳に行ったり、名郷に行ったりと、幾度となく通り過ぎる私を、いつも静かに見守っているこのお地蔵さまにも、数々の伝説があるのです。
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【妻坂峠の伝説・其の二】
昔、妻坂峠は秩父への近道として多くの人が通った。
しかし道中、山犬や狼がでて、噛み殺される事故が絶えなかった。
山中の一兵衛という人は、ここで噛み殺された人々を供養したいと思い地蔵を作った。
一兵衛屋敷でつくられたこの地蔵を、一兵衛自らが背負いあげたと云われている。 |
※地蔵の台石より下にお経が刻まれて埋まっていると云われる。
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峠の頂を越えて、杉林の植林地帯の中に続く道を下っていきます。
現在も、大持山縦走路に向かう人などが結構通るようで、道はしっかりついています。 |
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杉林をしばらく下ると、右手に沢が現れます。
名栗村へ流れ下る沢です。
この峠のふもとの白岩という集落(今は廃村)にも、妻坂峠にまつわる逸話があります。 |
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【妻坂峠の伝説・其の三】
名栗が秩父郡だった頃、名栗村の白岩という集落に新井亀次郎氏が住んでいた。
ある時、彼が秩父からの帰りに峠を通りかかると、
「亀次郎、気をつけろ」
という声が聞こえた。
そこで山犬や狼に気をつけながら下りると、無事家にたどり着くことができた。
亀次郎はお地蔵様が危険を知らせてくれたものと思い、峠の地蔵に屋根を造った。 |
※ただし亀次郎の作った屋根は現存しません。
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やがて杉林の間に舗装道路が見えてくると、いにしえの峠も終点です。
終点には砂防提があります。
沢を越える小さな橋を渡ると、車道に出ます。 |
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名栗側の妻坂峠登山口の風景です。
車が数台置けるだけのスペースがあります。
飯能や都内から大持山・武川岳に登る人はここから登るようです。
また、この近くにもウノタワへの登山口や鳥首峠登山口などがあり、まだまだ遊び場には事欠きません(^^) |
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