■ムクドリの「ぴよ」■

人間の寿命は、動物の中でもかなり長い方のようです。

大抵、我々が日常接することのできる小動物は、あっという間にその生涯を終えて、無に帰っていきます。

ペットは生きている間に可愛がれば可愛がるほど、天に召されるときに我々を悲しませてくれます。

しかしそれは、「我々もまた、いずれ消え逝く存在なのだ」という摂理を、その身をもって教えてくれているようにも思えるのです。


ある日、軒先の鳥の巣から、4羽の雛が落ちているのが発見された。

もちろん、元の巣に戻せれば一番いいのだが、巣は3階の軒先…

飛べるようになるまで、保護してあげようということになった。

しかし、野生動物の仔を、人間が育てるのは非常に難しい。

えさのやり方がまずかったのか、雛は次々に死んでいった。

が、幸い最後に残ったこいつだけは、貪欲にエサを食べて、すくすく育っていった。

確かに、こいつは初めからかなり図々しい性格だった。

どこの世界でも同じなのか、生き残るのはこういうタイプであることが実証されたわけだ。



ぴよ、初めての水浴び。

誰も教えたわけでもないのに、水盤に入れたら

自分から水浴びを始めた。

本能は偉大だ。

「ぴよ」の大好物は「ミールワーム」(フスマ虫の幼虫)。

誰の後にもチョコチョコついていって、大声で鳴いて餌を要求する。

それが可愛らしいので、誰もが餌をあげた。

思えばそれが、ぴよの運命を決定した因子だったのかもしれない…

すっかり「手のりムクドリ」になった、ぴよ。

いくら、冴えない灰褐色の小鳥でも、こうもなつかれたら、誰でも可愛がるでしょう。

人の手から、恐れる気配もなく、餌のワームをついばむ。

完全に、食べ物以外のことは念頭に無いらしい。
もう立派な成鳥である。

しかし未だに、人の姿を見るたび、ヒナのようにピーピーと鳴いて、餌をねだる様に大口を開ける。

誰かこいつに、おとなのムクドリの振る舞いというものを教えてやってくれ。

10年ぐらいは生きそうな性格の「ぴよ」だったが、この撮影の数日後、忽然と天に召された。

ワームをあげ過ぎたのが原因?

そういえば、あまり飛ばない位、太っていたし。

これを憐れというべきか。

しかし、熾烈な野生界にあっては、飽きるほどワームを食べることも無かっただろう。

ある意味、幸せであったと思いたいものだ…

このムクドリが幸せであったかどうか、さだかではない。

生前、彼は何も語らなかったからである。

ただ、我々の胸に、命の輝きとか、生命の儚さとかについての記憶が残ったことは確かだ。

ありがとう、ぴよ。