住職見聞喜

1975年11月11日
法光NO.159号(平成元年盛夏)
一筋の道
山田無文
入梅も終わるころであった。庭のすみに南天の花が咲いていた。わたくしは久しぶりに寝床から離れ、縁側へ出て庭をながめていた。
気持ちのいい涼しい風が、病弱のわたくしをいたわるように、そよそよとわたくしのほおをなでてくれた。
そんな風に吹かれたのは幾年ぶりであろうと思った。そしてふと「風とは何だったかな」と考えた。風は空気がうごいているのだ、と思ったとき、わたくしは鉄の棒でゴツンとなぐられたような衝撃をうけた。「そうだ空気というものがあったなあ」と気がついたのである。
 生まれてから20年もの長い間、この空気に育てられながら、この空気に養われながら、空気のあることに気がつかなかったのである。
わたくしの方は空気とも思わないのに、空気の方は寝てもさめても休みなくわたくしを抱きしめておってくれたのである。と気がついたとき、わたくしは泣けて泣けてしかたがなかった。
「おれは一人じゃないぞ。孤独じゃないぞ。おれの後ろには生きよ生きよとおれを育ててくれる大きな力があるんだ。おれはなおるぞ」と思った。
「わが精神のふるさと」より

禅をきく会講演録 禅=無の宗教(その2)
 福島慶道(東福寺僧堂師家)
修行をすることによって、知性への依存がとれ、二元を越えた世界に経験的に出れるのです。蝋八の修行の最中に、二元を越え無の体験をもった人は、随分と多く、いかに厳しい修行が効果的かは事実が証明しております。
無の体験の瞬間をいえば、ハッと気のつく世界です。そこは頓悟です。
しかし、それまでには漸次に修行を積み重ねていくという過程があって、ある日ある時突然なのです。

ただ独りの托鉢行に徹して
仙石泰山(万福僧堂師家)
雲水時代の切なかった体験の一つですが、私はその中で「人々はそれぞれ生業あり、耕さずんば何をもってか食わん。織らずんば何をもってか着ん」という言葉を思い、結局、坊さんが生きるためには、最後には行乞があるばかりだということが、骨身にしみたのでした。
そして食えなくとも托鉢に徹し切るまでだと開きなおったとき、遅ればせながら、僧呂になった目的のようなものが、自覚できたような気がするのであります。
「禅の四季」修行の生活と文化より
1975年
建長寺派永法寺開山六百年遠諱
管長湊素堂老大師法話                              
出典、昭和50年11月11日(副住録音)                                    
 本日は、御開山様、六百年の云うなれば、お祭りでございます。このあいだ、椋神社での、龍勢のテレビを見させていただきました。
私が今度行くところの吉田と云う所は、ああゆう、ところかなと思って、種子島の宇宙ロケットの実験をミニマムにした様に感じました。
変わった風習ですが、現代的な、科学的なものの走りみたいな感じがいたします。
御開山様六百年といってもなかなかで、数えてもなかなか時間が掛かりますが、「杖託し、年代甚だ深くして六百年に垂とす」と、先ほどの法要で一句を唱えさせていただきました。

先般、和尚さんがお見えになったとき、応永2年を年表で括りましたら1395年でありますので、「方丈さん、20年、さばを読みましたな」と云いましたら「私の目の黒い間に20年後、と云ったら何時の事になるやら分からないから生きている間に御開山様に御礼のお祭りをしてみたい」と云う御言葉でございました。
ですから、本当は20年先が、お亡くなりになって六百年になるのであります。
この開山様は建長寺の開山様から4代目に当たられる方で無及徳詮禅師−千峰本立禅師−東暉僧海禅師と開山様を入れると4代目のお方であります。

どういう訳でこちらの方におこしになったのか、或は、おこしにならなずにお弟子がここに寺を建てて開山様をお迎えしたのか、おそらく、開山様の御名前だけを、頂いたのではなかろうかと存じます。
なぜかと云いますと、ここに来る途中、弟子とも宗務総長さんにもお話した事でありますが、「今でこそこうやって来れるけれどもテクシ−で来たらよっぽど時間が掛かりますなあ」と、お話し申し上げたことでありました。
秩父まで、お篭で来るなり、馬の背に乗って来るなりしても2日、3日掛かりの旅であったろうと存じます。

話は変わりますが、建長寺の前管長さんの寒松室、宮田東民老師が明治の8年のお生まれでございますので、今年、生きておられたら、ちょうど100歳になるんでは...。と云うことは、100年と云う年月は並み大抵の年月ではない。

西郷隆盛が死んだのも、それから3年後や。まだ100年になっておらん。
600年という歳月は実に、まあ長い年月であり、その長い年月の間、皆様の御先祖様方がこのお寺を、現在は40軒程の檀家だそうでございますけれども、その当時はもっと少なかったかもしれません。

そして苦労して先祖様が、代々の和尚様と一緒に伝え伝えて今日に至った訳でござい
ます。年代深くして六百年に垂んとす。とそんな言葉が自然に頭に、でたものでございましたら、それをまとめ、中心にして偈頌を作って参りました。

ここの開山様は、建長寺の66代目ということに建長寺の記録ではなっております。
お師匠さまは建長寺の世代にはなっておりません。しかし、建長、円覚、浄智、寿福、浄妙寺の鎌倉五山のうちの浄妙寺、これは足利高氏のおじいさんの造られたお寺だそうですが、浄妙寺のたしか20代目のお方だったと思います。そして、ここの開山様とお師匠様の、千峰本立禅師と申しますが、そのお方は揃って、建長寺の近くに明月院というお寺がありますが、それは、その昔は鎌倉五山に次いで大きかった善光寺というお寺がございました。
そこに、向雲庵という庵を結ばれて、お師匠様は別に黄陵庵という庵を結んで、そこにお住まいになって居られた。    
おそらく、晩年の事ではなかろうかと思いますが、また、もうひとつ前の無及徳詮禅師もその善光寺の中に庵を結んでお住まいになって居られた。
また、その前の建長寺の開山様の大覚禅師がその善光寺というお寺を始められた。
ここの開山様と4代に亘って、関東十刹の筆頭であるところの善光寺というお寺にいらっしゃった訳でございます。

私、この十月の半ば過ぎに足利に参りました。その足利の浄林寺さんはここの開山様のおじいさまに当たる無及徳詮と云う方の開かれたお寺でございます。
ここの開山様のおじいさまのお寺が足利にあるということをお心にお留め下さいまして、何かの機縁にまたお訪ね下さいませば大きな・・・でございます。
そこの開山様、おじいさんに当たる人は、知る人ぞ知ると申しますか、昔、あの元寇の役に関係がある方でありまして、もう一人僧英和尚という人と二人であの元の国、文永の役が5・6年前にあったんでございますが、元の国に偵察に行くと云うんですが、余程のものが命を捨てて行かなければ、いかれんような所だった。
元の国というのは。北条時宗は元の使者を刀で首を切ったと云うんですから、首を切られるかもしれない。そういう時に無及徳詮という方は命を捨てて、時宗の命令で向こうに渡った。ある歴史学者の書物を紐解きますと「全国政治探偵家?」と書いてございました。
最近、写した仏典でそう云う文字を発見しまして、そうかなあと思いまして自分の行った足利のお寺の開山様の気持ちはそうゆう風だったかと。そして、いちばんその当時、宋という国が滅びまして、元の国、あのフビライの、元寇の役の張本人の向こうの大将、国王ですけれども、その当時、いちばん日本と行き帰しておった明峯という所がありますが、そこの天童山菊王寺という中国五山の5番目という大きなお寺に居られた和尚さんに時宗から預かって来た書状をお見せしたそうです。
そしたらその人が「おまえ行け!」といって命令したのが、あの円覚寺の開山様でございますが、その当時は、日本にお越しになってから建長寺の五代目の和尚様になられた。それが時宗が非常に参じて頼三陽、曰く、「相模太郎参、神の如し」と表現した時宗公のどしょっぽねを造られた中国の禅僧でございますが、元寇4年の元寇の乱で十万の兵、博多の海に没すというあの後に時宗が自分の心の師匠であるところの、無学祖元禅師と申しますが、その方を後の日に円覚寺を造るといって、そして円覚寺の開山様になった。という建長、円覚という間にそういう因縁がございます。その円覚寺の開山様を、時宗公の期待を受けて中国の明峯から日本にお連れ申したのが誰有ろうここの開山様のお師匠様の無及徳詮という禅僧でございます。
この方は建長寺の開山様の禅の教えを承けて、分かりやすく云いますと、免許皆伝のお方の禅僧でございます。もう一人、宗英という方と二人で行って、その円覚寺の開山様を迎えてきて、いやその当時、円覚寺はまだ建っておりませなんだ。建長寺の第5代目の和尚さんとして、迎えた。当時は、まだ禅宗というものが、云うなれば始まったばかりでございまして、やっぱり日本の禅僧ではまだちょっと荷物が重かったのでございましょう。
その五代目まで建長寺は中国のお坊さんが継ぎ、六代目に初めて日本の無孔道念という方が建長寺にお就きになって、それからずっと、間にまた中国のお坊さんがちょっと飛び飛びに住職していらっしゃいますけれども、建長寺はそう云う風に初めのうちは、ほとんど中国のお坊さんが、まあ、ここの開山様という歴史を経まして66代目に建長寺の住職としたのでございます。

ここの開山様に何か歴史の云われはないかと思いまして、いろいろ書物を当たりましたが直接ここの御開山が何処のお方で、何時ごろお生まれになって、どういうことをなさったかということは全然、歴史にはございません。
残念でございます。六百年という歴史が経ちますというと、年代が経ちますとそういうことでございましょうね。
われわれが百年も千万年も何処の誰の誰兵衛とわからんようになってしまう。六百年経って尚且つ東暉僧海禅師というお名前が出て来る。
やっぱりそれは普通の人では、そういうことは出来ない。お坊さんの中のお坊さんと・・・な方だっのだと存じます。
残念なことに、元から円覚寺の開山様をお迎えしたという方も、またその、ここの開山様のお師匠様も歴史には詳しいことが分かりません。それほど亡縛として訪ねるに由無しというのが歴史の流れでございます。
本日は取り留めの無い伝記のお話を申し上げて、誠に堅苦しくなりましたが、私、平生からいつも思うんですけれども...                              
特に、禅寺は、禅寺の本尊様は、観音様でもなければ、阿弥陀さんでもなければ、また、お釈迦様でもない。生きた仏様である。即ちその時の和尚様がお寺の本尊さんだと思います。
禅寺の本当の建て方が、だいたいそういう風に、開山様が、時代時代の和尚様はまん
中に、本尊様の観音様や大仏さんは、和尚さんの横に、これがまあ、禅寺の建て方だそうですが、和尚様の如何によってお寺は盛衰するものだと思います。

そう云われてもねえ、15、6年前に私が紀州のお寺に住職している時に、町ではなかなかやり手の40位の人が私を訪ねて来ました。「おっさん!」「なんやあ!」といって「まあ上がれや」「上がる間がないんです」「近所のばあさん連中が集まって、わいわい云うには、結局、和尚の所へ云うてこい」「何を聞いてこいと云うたんや」「家のおふくろが胃ガンになって東京へしばらく行ったけれども、手術は恐いから手術せん。とうとう連れて来た。ばあさん連中が、切ったり、はくったり、かわいそうなことをするな。と云うんで医者に行くべきか、行かざるべきか、お寺の和尚に処置を聞いて来い」と云う。「わしらは、生きている人にお経を挙げる訳にはいかん。行くところが違うんじゃないか」と云ったら、「和尚さんの言葉で、手術をすべきか、このまま命が無いなら家でおかあさんを家族で送ろうか。と云う最後の決断を和尚さんに聞いて来い」。まあ、ちょっと角が違うように思いますけれども、お寺の和尚さんは、いうなれば、心のふるさと。皆様方の心の悲しいにつけ、うれしいにつけ、皆様方のよろず相談所がお寺であります。
だから、そのよろず相談所の和尚さんだから、本尊さんに祭り挙げてある。その本尊さんが、あかんたれでは、お寺は必ず衰えます。私ども、あっちこっちの末寺を回ってみましたが、この本尊様の真正面に立ったときに、このお寺というものは、「あ!うまいこといってるな!。あ!これは失速しそうだな。」と、お寺の門前に立った時にその空気がわかる。当山では、皆様が今日の日に、万障繰あわせて集まってくれるということは、それだけ和尚様に信仰のある、信用のある証拠でございます。新命さんは私の所に1年程居って私に何回かゴツンとどずかれたと思います。私、いつも云うんでございますが、若い和尚が、だんだんに柿が熟するように甘くなってくるのは、結局は檀家が上手に和尚を育てるか、それが境目だから、どうぞ、檀家の方は和尚様を上手に育ててやってくださいと。あっち向いて年忌、葬式のときだけ来て、ごにぁごにぁと言ってもろうて、それじゃあ、やっぱり和尚は育ちません。なにかにつけて、まあ、嫁はもらって結構でございます。今日は退屈じゃから行って、和尚にお茶を呼ばれながらダベってこうかとこれがいちばん私、お寺が栄えて行く根本である。

今日も私、電車に乗って秩父の川の流れ、非常にいい流れ、こんなとこハイキングしたいなという気持ち、起こりました。その川の上流は、水が沁みてるぐらいな一滴の水から、ああいう川が出来るわけでございます。どうぞ本当の慈愛を以て育てるということ、そうして頂ければ、それは、どついてもどつきようがあるんで
すねえ。
そりゃ、憎いと思ってどずくより、なんとかして立派に育ててやりたいからどずく。親の本当の厳しい慈愛というものと同時に本当におとうさんの慈愛、厳粛な慈愛で育てて、次の和尚さんのポストを引き続かして頂きますように、本日は取り留めの無いお話を致しましたが、どうぞ、お寺は皆様の共有の財産である。
なにかにつけてお寺が皆様の公民館であって欲しい。年忌、法要の時にかかわらず、他の何かの時に、皆さんがお集まりになる、檀家の方がお集まりになる、近所の方がお集まりになる、そうしてお寺が、栄えて行くのが本当の自然の姿ではないかと思って居ります。
此の場をかりまして後々のことを宜しく申し上げて私のつたないご挨拶と致したいと思います。                            
                                                                                
湊素堂老大師 永法寺600年遠諱談話 行録                                  
 私もねえ、本当は百姓の子なんです。何時の間にやら禅宗の虫がついてしもおて、僧堂、坊主になってしまいました。       
言い増しなんだけれども、歴史になりますが、ここの開山様が亡くなった頃は、応永2年と、建長寺にはありません。和尚さんのお話ですが、これは南朝、北朝という両方の朝廷が起って争ったことがあります。白水、むさしげ、御醍醐天皇、足利尊氏と、あの南北の最後は一休禅師のおとうさんの後小松天皇、そこの時に合併した訳です。合併した翌年に亡くなっておるんですねえ。ただそういうことです。                
何かひとつ、聞いてくれませんか、町長さん。私も町にお世話になって、3年ですが、町を良くすると言うのは、神社、お寺というものも、盛り上げて行かないと、町民が一体となって団結することが出来ない。というようなことからこの間テレビで見てもらった龍勢まつりも復活した訳です。あるいは秩父は寒村僻地な場所である。いまでも、過日の国勢調査に依りましても、人口が減っておるわけです。そして都会へ、都会へと流出しておるわけです。そういうことから祭りも復活しようと。お祭りは、昔の我々の先祖が非常に苦しかったために秩父事件が起こったわけですが、その秩父事件の集合した場所に椋神社という神社がありましてそこの付け祭りとしてやっておるわけです。そして4年続けてやったわけでございます。だけんどもまた、秩父事件の火付け役にならないようにしてもらいたいものですねえ。                        

おばあちゃん方なにかありませんか。いえね、私ね、紀州で「ここは串本...」という歌があったでしょう。あそこのお寺に居ったんです。そしたらねえ、十七日が観音さんの晩なんです。すると私が大鐘をゴオ−ンと18鳴らすんです。そしたら、ゾロゾロじいさん、ばあさんが来るんですよ。それでねえ、般若心経をわたしが読んで、小僧が木魚叩いて、読んだ後回向したらあとはねえもう、娯楽会。串本節を覚えたんです。いろいろねえ、漫才する人がおるし、落語する人もおる。そうやって1月1回、じいさん、ばあさんと娯楽会をしました。おもちがあったり、素麺があったりすると、材料を提供して、ばあさん連中が料理しましてねえ、小豆が出来たらぜんざいにするとか。それをするというとお寺へ・・・。こういう話がありました。私が行った時は釣鐘は無かったんです。そしたら誰いうとなく和尚さん来たんだから釣鐘、造ろうじゃないか。またたく内に鐘が出来たんです。そしたらねえ、中学校のPTAの会長さんから物言いが付いたんです。方丈さん、私は、檀家と同時にPTAの会長です。今、串本中学校の講堂が雨漏りをしているんです。それでその、死んだ人を大事にするのがほんとか、これから伸びる人を入れる校舎を大事にするのがほんとか、どうや!。と言ってきたんです。それで私言ったんです。わしゃ知らんわい。じいさんばあさんがやろうというて、こうやって盛り上がって来たんで、私が言ったんじゃ無い。あんたが、教育の熱を盛り上げる、あんたが悪いのか、私が居ってこうやって鐘が出来たのが悪いのか。それはどちらにでるのも結局、世論というんですかそれはどちらにでるのも結局、世論というんですかねえ、その力が、育てるのが必要なんで、鐘くれ、くれといっても、自分の家でも火の車じゃ。それを快く出させるというのが・・・。これは、やっぱし、わしの方が勝ったんと違うかいというと負けたといって帰りましたが・・・ハッハッハ・・・。私、6年半、紀州に居りましてですねえ、実に、まあ
楽しくねえ・・・。それとねえ、私が鎌倉に来るときにはねえ、門の両側にじいさんばあさんがピシッ−と並んでねえ、そして涙を流して送ってくれました。そしてねえ、総代さんを始め5・6人が私を鎌倉へ送ってくれて、川口というところのお寺にまず入ったんです。その時に、総代さんが帰る時分に「和尚さん!帰ります!」といってねえ、そして七十過ぎた老人が涙をポロリと・・・、人前に拘らずにですよ。ああ!檀家、総代さんというのは有難いものだなあ!どこの馬の骨とも分からんような男に、涙を出して、「和尚さん!帰ります!」といって、手を握ってくれた。この有難さねえ。私、いつも、だから、思いました。「檀家は寺の宝なり」ということばを私、発見しました。それはねえ、私の居った寺は檀家は多かったんです。そんじゃけんど、みんな、もう、零細民ばかしじゃねえ。時には、お家でもって来た、線香にしてもっていきよる事が何回もあるんですねえ。
そんなこんなですげれどもねえ。それだけに、人情、細かい。なんかそのくると、これこれ、命令一下せんのに、サッア−とやってくれましたねえ。お寺には山は少ないいんですよ。田、一つないんです。そんでも、まあ、零細市民の依り集まりの力で私、来るときにそんでもねえ、まあ、零細市民の依り集まりの力で、私、来るときには、宝物館まで造ってきました。いや、造ってきたより、造ってくれたんです。町長さんが、一番なんです。町からねえ、まあ、貧乏村やのに、20萬円、そのときねえ、町の名前で包んでくれましたねえ。その後曰く、「まだ、完全に出来ておらんけんども、和尚さん、行くんじゃから落成式を、とりあえず、早めてやろう」というてやってくれました。その時に寄付帳を見て、おそらく、いままで、こんなに、寄付を、快く、しかも、高額の寄付をしてくれたのは町始まって以来じゃろう」と言ってくれましたねえ。結局、わしが商売上手じゃないんだけんども、結局、世論がそうまとまってくれる。檀家というものを如何に和尚が掴むか掴んか、そこに、檀家というものは寺に一物も、本当にきらわず・・・。その時にもねえ
、私が居った時分に、50−60萬円、寺に寄付金がありました。それ、全然、ないんです。それでもやるとだねえ、私の晋山式に100萬円掛かったちゅうて言い居りましたけんども、釣鐘でも100萬円掛かりました。簡単な、本堂と同じ様な宝物館であって、その当時、昭和36年でございましたが、400−300萬、掛かりました。みんな、これもお、寄付でねえ。だってねえ、言うときます。寄付は集めんでくれるなよお、そんな取り上げるような、かいそうなことして。ほんでも出してくれるんじゃからねえ。有難いなあ。檀家はお寺の宝なりという感じをねえ、串本で発見してきました。皆さん方がこうやって、集まってこのように出来るのも、和尚さんがようせんのに、檀家の人がしてくれたんと違いますか。そうでしょ。やっぱりねえ、普通の人だったらしてくれやしませんようねえ。お寺。でねえ私は、和尚さんを、町長さんを悪口いうのんも悪いけれども、お寺が公民館ですよ。お寺を上手うに使わにゃいかんですよ。町長さん。

・・・「そういうことです。」・・・そして、お寺自身も結局、ギブ アンド テイク で与えれば必ず、あ!障子が破れてる。あ!あそこ、障子の骨が壊れてると誰か気が付きますよね。こうした、お寺は永久に栄えて行くんじゃないかと思います。       
私、一人の芝居でいかんけん、皆様方、何か冷やかしてください。いま少し。そこの眼鏡のおばあちゃん、「・・・アッハッハハハ・・・」あの、秩父音頭でも歌うてください。
いやねえ、本当はねえ、私、今日は留めてもらうつもりで居ったんねえ。留めてもろて、ひとつ、娯楽会場か。とそんな考え、して居ったんや。そしたら、明日、帰りよるねん。
再来年、建長寺の開山様の700年のお祭りがあるんです。それのいはえる、打ち合せ会がありましてどうしても帰りゃなりません。残念やな。和尚さんと、初め来た時分に、留めてもらうというと、そんなら、便所、直さにゃ、風呂場、直さにゃ、なんて、こういう時に直すのも結構じゃないかと思いましてねえ。この間、急に会議ができまして、残念ながら・・・、串本節もよう歌わんで、残念じゃが・・・アッハッハッハハ・・・。   
今、もう、何にも問うてくれなんだら、一人舞台じゃあ辛いから引っ込みます。  

もう有りませんか。有りませんか!。                                          
                                                                            
ここの和尚もですねえ。教育長をやっているし、社会教育の面についてもいろいろ町の指導をしていただいて居るんで、ここの檀家の人、近所の人もここへ集まって、いろいろ御指導していただいて居るようです。心の教育長になってもらいたいんですね。文字の教育長では、あかんねん。心の教育長ですね。                     
それは、あれです。先ほど管長さんが申されました。和尚さんが本山でのお話がありましたけれども、私は教育委員で、教育長にいろいろ指示して居るんですけれども、実に立派な教育長で、・・・だいぶ袖の下があるんと違いますか・・・アッハハハハ・・・。  
先日ある教育委員会の機関誌にですねえ、日本の今の青年は、海外で、サムザモ−ネというフランスの言葉なんですが、ザムというのは、俗な、何か卑しいというような意味なんですね。ザモ−ネというのは日本人という意味なんですね。それでもって、ヨ−ロッパ、辺りじゃあ宗教というのを学校の正課として相当、取り入れてある。そのないフランスでは道徳教育というものを盛んにやっている。おばちゃん、そいつは窮屈ですねえ。あんなに窮屈なのは止めましょうねえ。難しい話は止めましょう。それでは、結論的に申し上げますけれども、今の日本で宗教と言うものを政教分離でやってないとその場合に日本の今の宗教とか道徳という教育は政教分離の今の姿勢で行って良いのか、それとも、それをある程度、学校教育で取り上げた方が良いのか。ちょっと管長さんにお伺いしたいのですが...。   

ああ、そうですか。それはねえ、歴史というのは流れているでしょ。こっちが良いと思っていると何時の間にやらこっちが良くなっているし、揺り動いているんですねえ。自然に。私はねえ、こんなに、思うて居るんですよ。もう、この頃のお寺はもう、本当に、心の教育長になっておらんから、お寺を一変、もう、全部、燃やしてしもうて、燃やした後から本当に、出来上がるお寺が本当のお寺だと思いますがねえ。今、仰ったように、したら良いのか、せんのが良いのか。どうしたら良いのかと言うけんども、これは自然に、振子が変わって行って、良いような所に落ち着くんではないんですか。今は、いはゆる、戦国時代じゃ。特に、マッカ−サ−から「一宗に片寄ることならん」と言われて、あれがひとつの影響になっているんではないかと思いますよ。あれでどうにもならんようになっているんですねえ。それで今、靖国神社の法案が揺るいでるのも、その所以と違いますか。一宗に、仏教にもしてもいかん。キリスト教にしても片寄ってはいかん。いわゆる、政策としてこれを固定してはいかん。固定してはいかんけれども、ソ連でも、結構、キリスト教は有るわけですからねえ。やっぱり、求めるんですよねえ。本当に、求めるから出来るんであって、政策では私は、出来んと思いますわ。それは決められん。これは、こんな硬いことは後で、ご飯食べながら、話しましょう。おばあさんがた、あくびしておらんな。  

すみません。私、母親を亡くしまして、まだ、四十九日になってないんですが、今日は同じ臨済宗の管長猊下の・・・そんな管長猊下なんて、堅苦しくていかんのじゃ・・・拝むだけでも供養になるかと思いまして・・・いやねえ、私は、五十いくつや。母親が死んだのは、昭和39年じゃ。私が鎌倉へ来て、3年目に死んだ。一生懸命に座禅をしているさなかに、家から速達が来たんです。最中やから、言う訳にはいかん。黙っておって、それでもう、最後の日に、「宗務総長さん、実は家からこれが来ておる」と言うたら、「それはもう、こんなこと、ほっといて、親ほど大事な縁を」と言うて、飛行機の切符、買ってくれましてねえ。飛行機です、私。初めてその時飛行機に乗ったんや。そしたら、私の頭をねえ、叩いてねえ。癌ですよ。うれしいってねえ。本当に、自分の子供の時の母親の、子供を、あかちゃんを抱くようにねえ、抱えて、こうやって・・・。痛いさなかによう・・・。私は、亡くなるまでに一週間ありました。12日に私、帰って19日に死にました。6月の19日。その間、横に寝ましてねえ。寝ながら手を握って、毎晩、寝ました。
そしてねえ、母親が最後に息を引き取る時分にはねえ、先のとんがった錐でねえ、ピッ−と突き刺されるように思いましたねえ。ああわしはこれで、親無し子になったなという感じがふっと決まりました。これは禅宗のお坊さんではないけれども、あるお坊さんが、1日でも親にあわなんだらダイヤモンドを失うたようだと、宝物を失うたようだと。いちにち母にあわずんば至宝を失うが如し。という詩があるんですよね。

まあ、私、仏教で、親に孝行するのが、仏教の始めなりという、父母恩重教というお教があるんですよ。お寺のお坊さんはそれ、読んでくれませんけんどもねえ。それは漢文で書いてある、難しけれども、話をすれば簡単なんですよ。寒いにつけては骨身を削って、こうあれするでしょ。まあ、私の母親の事をあんまり、言うのも気が引けますけんども、言います。私のすぐ下の妹が、酒屋へ嫁に行っとる。酒屋の家が今度の戦争で焼夷弾にあって、焼けてしもうた。私の母親の居った家も後には焼けましたけれども、その時は焼けなんだ。その冬にねえ、どうしたかというと、いや、私の家も焼けた。焼けた、そして冬だった。向こうの娘の嫁入り先の家も焼けた。冬になって自分の家も焼けた。そしてその冬に母親が、どなんしたかと言うと、娘にプレゼントした。何をプレゼントしたかというと、自分の家も丸焼けで何もないでしょ。だげど、女の人、腰巻しとるでしょ。腰巻を洗ろうてね。自分のしている腰巻を洗ろうて、娘の所にやった。これが母親の気持ちでしょうね。
自分を削って、自分の子供に・・・。そんで私、よく地蔵和讃を読むんですけれども
本当に、尊いものは、本当に、あんな、あんな所にある仏様、あれではないです。本当に生きた仏さんはお寺の和尚もそうじゃけに、お家ではおとうさんおかあさん。これがまあ、本当の大きな御本尊じゃないかと思います。そんな事を言ったら宗教は成り立んかもしれんけれども、宗教の始まりは確かそうやぞ。一番の根源は。この源の、川の源の、一滴の水はやっぱり、血の繋がった親と子の愛情が基でしょうねえ。    

それで、私ねえ、自分の姪がねえ、去年、小児マヒの子どもが死んでもう、泣けて泣けてしかたがない。おじちゃん何か慰めになるものを教えてくれませんか、といって、神戸に住んでいますが、鎌倉に手紙がきた。そんでわたしはねえ、何も書いてないお教の本を持っておりましたから、地蔵和讃のお教の分かりやすいのを半分書いて、後半分残しましてねえ、亡くなったおまえの子供のために、せぇ− ぜい涙を流してやれ。その涙が子に対する供養になる。そして何か感ずることがあったらそのお教の私の書き残した後にメモ帳として書き伝えなさいと言ってやりましたがねえ。今でも何か綴って居るようでございます。親と子の愛情というのはねえ、まあ私は50を過ぎて、46か7の時に父親が、79で死にまして、50過ぎて母親が80で死にました。私は幸せな人間やなと思います。 
私まあ、母親っ子でございますもんで、今でも、夜中に目が醒めると期せずして「おかあちゃん」いう言葉がでるんですよね。ああこの言葉が出ることは自分でも幸せやなあと思ってねえ。私は自分で精神年齢9歳と自称して、そんなことを人にはばかりなく言うんですけんども、おかあさんの子供である。あかちゃんの気持ちになれる。ということは幸せやなと思います。まあせいぜい、おかあさんを偲んであげて下さいまし。あんまり長くなると私、なにしますから、これで終ります。はい。串本節は今度にしましょうね。では、町長さんどうぞ宜しく・・・。心の教育長をどうぞ・・・。                          

<追加資料>
建長寺六十二世(六十六世)東暉僧海禅師                                   
       (法系図)蘭渓道隆−無及徳詮−千峰本立−東暉僧海
       出典 本朝高僧伝                                                             
浄妙 千峰本立禅師法嗣 相州建長 東暉僧海禅師。              
大樹和尚安牌仏事に曰く。                          
  不生不滅法王身     不生、不滅の法王の身              
  壽等虚空体自真     壽等、虚空の体、自ずから真。          
  昨夜霜風寒徹骨     昨夜の霜風の寒、骨に徹る。           
  牌前枯木挽回春     牌前の枯木、春を挽回す。            
伏以。                                   
叢林 模範 上古 典型。依 精進苦 発揚 列祖之大機。揚 語言 音声 歌頌 諸仏之妙徳。怠慢之者 者 遭 鞭苔之教 速生 進 修之心。習学之徒。蒙誘 掖之慈。愈加 激励之志。曽 居 巨。 分座説法。則掀 翻檗山 米山之旧巣窟。出住福源 薫席。匡徒 則 繁興 大覚佛覚之古道場。田園 苗 秀、松竹 風 清。雖然 滅後 已十三回。末審 遊履 那方 世界。重転法転 普度 群有。為報。仲冬厳寒。風頭稍硬。

捧牌に曰く。
帰来 這裏 依位 安住。

瑞雨閣の偈に曰く。                             
此閣 元先 天地成。門開 甘露度群生。鯉魚驚起 韶陽 棒。一雨無瑞 東海 泓。某年六月二十七日。寂于金剛院。                                              

<和光誌より>
建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第84号                                                          
曇華軒十三回忌・寒松室七回忌 拈香香語                    懸河能弁擅宗権    懸河の能弁、宗権を擅にし、             
 寡黙家風別有伝    寡黙の家風、別に伝有り。              
 流水落下茫不住    流水落下、茫として住らず、             
 両翁消息又何辺    両翁の消息、又何れの辺。              
 別々                                   
 千斤任重阿爺法    千斤任は重し、阿爺の法               
 万斛難堪曽父禅    万斛堪へ難し、曾父の禅               
定中照鑑                                                                   
  建長寺 湊素堂老大師 香語                                              
出典 和光第93号                                                           
達磨忌                                   
 面壁九年逢好郎    面壁九年、好郎に逢う                
 雪中断臂箇神光    雪中の断臂、箇の神光。               
 西来意旨無余処    西来の意旨、余処、無く、              
 赤脚波斯去大唐    赤脚の波斯、大唐を去る。              
                                      
開山毎歳忌                                 
 兜率山丘古路危   兜率の山丘、古路、危し。
          (開山禅師塔所の山を兜率山と云う)
 緑苔難払磴参差   緑苔、払い難く磴、参差たり。              今春有篤志人在   今春、篤志の人の在る有って、              拝謝深心受信施   謝して深心を拝し、信施を受く。                                                                                       
建長寺 湊素堂老大師 香語
 出典 和光第98号   京都 建仁僧堂 臘八大接心に拾う                光明盛大苦寒話    光明、盛 大苦、寒の話、               
講後帰堂臘八徒    講後、堂に帰る臘八の徒。               
新到一人伸両手    新到一人、両手を伸ばし、               
汲朝陽暖等閑図    朝陽、暖を汲む、等閑の図。              
臘八や 朝陽にもろ手 差し伸ぶる。                                                           
歳旦                                    
虎視牛行禅者姿    虎視、牛行、禅者の姿、                
動中有静未曾移    動中、静有り、未だ曾て移らず。            
元朝仏殿裡祥瑞    元朝、仏殿裡の祥瑞、                 
菩薩慈悲八面垂    菩薩の慈悲、八面に垂る。                            
                                                                            
建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第98号                                                           
亡僧塔                                   
採薪搬土切瑳朋    薪を採り、土をは搬んで、切瑳せし朋、         
忽爾色身敗壊崩    忽爾として色身、敗壊し、崩る。            
往事追壊渾是夢    往事の追壊、渾、是、夢、               
任他造塔弔亡僧    さもあらばあれ、塔を造って亡僧を弔わん。                                             
亡僧塔、開眼供養と併せ、清毅禅士7回忌の法要が営弁された。                                                      
建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第100号                                                         
天目山棲雲寺伝灯菴(開山堂・収蔵庫)落慶                  
参得中峰越格禅  中峰、越格の禅に参得し、                 
帰来此地体安然  帰り来て、此の地に体安然。                
棲雲不下山行履  棲雲、山を下らざるの行履、                
天目芳縦今古鮮  天目の芳縦、今、古、鮮かなり。              
伝灯菴竣工 奉遷 開山禅師 彫像 於此座。茲 請 諸尊宿、転読 大般若経、専祈山門興隆。
会前 下 一転語、期 法眼 円。                      
爍迦羅眼絶塵俗  シャカラ眼、塵俗を絶し、                 
乃祖伝灯照大千  乃祖の伝灯、大千を照す。                                  

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第101号                                                         
開山忌拙偈                                 
 波涛万里渡航来    波涛、万里、渡航し来たり、             
 天下禅林天下魁    天下の禅林、天下の魁を作す。            
 再度配流毫不歎    再度の配流、毫も歎ぜず、              
 謫居穏座笑顔開    謫居、穏座して笑顔、開く。             
                                                                            
建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第106号                                                         
年頭感懐                                  
 鳥兎匆々十四春    鳥兎、匆匆、十四の春                
 鎌倉在住旧懐新    鎌倉在住、旧懐、新なり。              
 随縁碌々永年止    縁に随って、碌碌、永年、止まる、          
 元是行雲流水身    元、是れ行雲流水の身。               
(広瀬淡窓)                                
 休道 他郷 多 苦辛。  同袍 有友 自 相 親。            
 柴扉 暁出 霜 如雪。  君汲 川流 我拾 薪。                          
建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  

出典 和光第109号                                                         
開山忌拙偈                                 
 非無禅只是無師    禅なきに非ず、只だ是れ師なしと、          
 古仏辛言応自知    古仏の辛言、まさに自知すべし。           
 一箇死骸挽得入    一箇の死骸、挽き得て入ると、            
 祖翁示晦恁麼垂    祖翁の示晦、恁麼に垂れ給う。            
転版香語                                  
 巨福塔前分半座  金仙寺裏説斯禅  努扶師道祖灯護  此 拝真恩広宣   
                 埼玉二部 金仙寺新命住職 全正 九拝   
 星霜七百有余年  東海鐘声劫外伝  相答相呼雲四合  迎看積翠巨山天   
                神奈川一部 天源院新命住職 秀行 九拝   
 巨福山頭承転版  因懐大覚祖師禅  仰瞻遺戒五条矩  跪拝松源一派伝   
                神奈川一部 長寿寺新命住職 保南 九拝    

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第110号                                                         
昭和丙辰歳旦祝偈                              
 昇天旭日輝龍光    昇天、旭日、龍光を輝かし、             
 元旦新風添瑞祥    元旦の新風、瑞祥を添う。              
 萬木春回一年計    萬木、春回る、一年の計、              
 人生夢大好飛翔    人生、夢大、飛翔するに好し。            

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第112号                                                         
埼玉県一部 長徳寺寒松老大師十三年忌                     寒松老去十三年    寒松老、去って十三年、               
 大智山中翠更鮮    大智、山中、翠、更に鮮なり。            
 一寸常懐恩一丈    一寸、常に懐う、恩、一丈なることを、        
 恭消」拝仰蒼天    恭しく」拝を消して蒼天を仰ぐ。                      
                                                                            
建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第113号                                                         
開山忌                                   
 將迎祖苑遠年忌    將に迎へんとす、祖苑の遠年忌、           
 七百星霜耐雪風    七百の星霜、雪風に耐えたり。            
 我等児孫以何報    我等、児孫、何を以って報ぜん、            五条遺戒欲推窮    五条の遺戒、推窮せんと欲す。

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第114号                                                         
昭和五十二年歳旦                               大覚禅師七百年    大覚禅師の七百年、                 
 酬恩謝徳底斎筵    酬恩、謝徳底の斎筵。                
 期無遺憾萬般事    遺憾、無からんことを期す、萬般の事、        
 歳首銘肝巨福巓    歳首、肝に銘ず巨福の嶺。              

開山さまの影を追って                            
 六十六年其半生    六十六年、其の半生                 
 北逃西避受難行    北逃、西避、受難の行。               
 竄流尚謂機縁熟    竄流、尚、謂う、機縁熟すと、            
 天下禅林木鐸声    天下、禅林、木鐸の声。                             

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第116号                                                         
大覚禅師七百遠年諱 法恩接心開講偈                     
 各々僧堂龍象衆    各々僧堂の龍象の衆、                
 応請賑巨福禅林    請に応じて巨福禅林を賑あわす。           
 開山始祖遠年忌    開山、始祖の遠年忌、                
 結伴酬恩大接心    伴を結んで、恩に酬ゆ大接心。            
(別偈)                                  
 祖師命脈古風存    祖師の命脈、古風、存す、              
 欲報松源一派恩    報いんと欲す、松源一派の恩。            
 五月薫風新緑処    五月の薫風、新緑の処、               
 開披大覚座禅論    開披す、大覚の座禅論。               

講了之偈                                  
 大徹堂中立古規    大徹堂中、古規を立し、               
 西来祖意太扶持    西来の祖意、太だ扶持す。              
 今朝相送下山路    今朝、相、送る、下山の路。             
 翠緑卜前途有為    翠緑、前途の為す有るを卜す。                     

七百遠年諱拈香々語                             
 三十余年後半生    三十余年の後半生は、                
 東逃西避受難行    東逃西避の受難の行なり。              
 竄流尚謂機縁熟    竄流されて尚、謂う、機縁、熟すと、         
 天下禅林木鐸声    天下の禅林、木鐸の声。               
  定中照鑑                                

会中祈祷                                  
 聚首探求乃祖真    首を聚めて探求す、乃祖の真、            
 報恩道念向誰陳    報恩の道念、誰に向かって陳ん。           
 大経転読此功徳    大経、転読の此の功徳は、              
 為会中無障正因    会中、無障の正因と為らん。                      

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第115号                                                         
戊午元旦                                  
 見鞭影是不良駒    鞭影を見る、是、良駒ならず、            
 挙一明三又匹夫    挙一明三、又、匹夫。                
 古徳箴言君識否    古徳の箴言、君、識るや否や、            
 潜行密用似凡愚    潜行、密用、凡愚に似たりと。                       

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第121号                                                         
開山毎歳忌                                 
 七百当年加一年    七百当年、一年を加え、               
 法灯赤々更連綿    法灯、赤々、更に連綿。               
 祖師霊骨余芬徹    祖師の霊骨、余芬、徹し、              
 巨福禅林翠蔭鮮    巨福の禅林、翠蔭、鮮なり。             
偶成                                    
大覚禅師寄書樵谷惟仙禅師                          
 難黙異邦失意情    黙し難き失意の情、                 
 馳書樵谷老師兄    書を樵谷老師兄に馳す。               
 凡愚賢聖没差別    凡愚、賢聖、差別を没し、              
 不覚望郷感慨生    覚えず、望郷の感慨、生ず。             

大覚禅師は再三の法難に遭い、其の失意の情を嘗て中国に於て旧知であった信州安楽寺の開山、樵谷禅師に書を送って、望郷の念止みがたい心情を吐露したと云う。
(玉村竹二先生に此の事実を聞く)                                            

建長寺 湊素堂老大師 香語                                                  
出典 和光第121号                                                         
長野県岡谷市妙心寺派久保寺 大覚禅師七百遠諱香語              
 異国禅師流謫難    異国の禅師、流謫の難、               
 配居甲信幾辛酸    甲信に配居して、幾、辛酸。             
 随縁赴化親宣布    縁に随い化に赴いて親しく宣布す、          
 蹤跡今猶処々残    蹤跡、今猶、処々に残る。              
      伏惟          伏して惟るに              
当山開山大覚禅師蘭渓道隆大和尚  宗門 木鐸 斯界 芳蘭。         
夙縁 深厚 到 吾朝、依 崇公 請、(崇公大禅定門[道崇]北条時頼)啓 巨福禅苑、参内 禁裡 奏 一偈、寛元上皇 宝前 祝 万安。(後嵯峨上皇[佛国国師の御父)朝野 崇信 篤 禅海 水 漫々。雖 然、好事 却 多魔。      
八宗 讒誣 再度 遭 流配。変毒 為 酥酪、遠 陬 黎民 親化 共 相 歓。
是則 大覚禅師 当時 平生底之一著子也。                  
只 如 今日 伏 値 七百遠年諱之斎筵、報恩底 一曲作 麼生 指弾。    
  左 転 右 転 珠 走 盤      左転、右転、珠、盤を走り、    
  東 行 西 行 天 地 寛      東行、西行、天地、寛し。     
崇公乃一偈                                 
 夙縁深厚到扶桑  忝主精藍十五年  大国八宗今鼎盛  建禅門廃仰賢王      

建長寺湊素堂老大師香語(和光第122号)
己未元旦
昭和己未正開端  昭和己未、正に端を開く、
一段風光庇福山  一段の風光、福山を庇う。
這裏真観親看取  這裏の親観、親しく看取して、
新年仏法洗塵顔  新年の仏法、塵顔を洗う。

建長寺湊素堂老大師香語(和光第122号)
亡僧会(妙心塔首、祖堂毅和尚禅師十三回忌)
葬送西来菴裡朝  葬送せし、西来庵裡の朝、
軽飛降雪為誰飄  軽飛の降雪、誰が為に飄がえりし。
十三忌景一場夢  十三回忌、景、一場の夢、
想起往時転寂寥  往時を想起して転た寂寥。

横浜太寧寺一正和尚津送
古徳の偈に曰く、

青々翠竹弄真如  青々たる翠竹、真如を弄す、
短々長々密又疎  短々長々、密又疎なり。
不密不疎何処好  密ならざる疎ならざる何れの処か好き、
無陰陽地是君居  陰陽無きの地、是れ君か居なりと。

夫惟
新示寂贈住山建長当山中興二十世恵海一正大和尚禅師

曇華門下徒 西来菴裡修禅一路
革故鼎新業 蒙太寧寺中興栄誉
雖然
四大不調  十二年来就病褥
薬炉辺枕  向頭上療養遂虚

生死事大 不奈何渠

今日臨岐為問冒頭宝鑑国師(愚堂国師)之一偈和尚会乎又否若不会請諦聴山僧更舒
(理事不二 邪正一如)
 都盧凡聖 皆入無余  都盧(トロ)凡聖、皆、無余に入る。(上平六魚)
 咄

建長寺湊素堂老大師香語(和光第125号)
開山毎歳忌
参得松源一派禅  松源の一派の禅に参得して、
航来万里海東天  航し来る万里の東天。
何期異国重々竄  何ぞ期せん異国重々の竄、
百代児孫酌法泉  百代の児孫、法泉を酌む。

山居       福生市長徳寺諠章和尚の来韻に和す
縛庵兀座嶺渓東  庵を縛んで兀座す嶺渓の東、
異国禅師航海東  異国の禅師、海東に航し、
百念如灰公案中  百念は灰の公案の中の如し。
波瀾万丈柳営中  波瀾万丈、柳営の中。
不用世人伝世事  世人の世事を伝えるを用いず、
常懐毎歳開山忌  常に懐う、毎歳の開山忌、
緑陰深処聴松風  緑陰深き処、松風を聴く。
年代甚深吾祖風  年代甚深なり、吾が祖風。

建長寺湊素堂老大師香語(和光第126号)
昭和庚申歳旦

新年迎得此三猿  新年、迎へ得たり、此の三猿、
不見不聞兼不言  見ざる、聞かざる、言はざると。
四海同朋相助処  四海の同朋、相い助ける処、
人間善意定乾坤  人間の善意、乾坤を定む。

降誕会 (100)
春色無高下    春色、高下無く、
花枝自短長    花枝は自ら短長。
世尊生誕意    世尊、生誕の意、
此外絶商量    此の外に商量を絶す。

降誕会 (107)
妙相円明不負真  妙相、円明、真に負かず、
本来無垢法王身  本来、無垢、法王身。
託瞿曇降誕佳日  瞿曇、降誕の佳日に託して、
一杓香湯結勝因  一杓の香湯、勝因を結ぶ。

降誕会 (111)
山色鳥声転法輪  山色、鳥声、法輪を転ず、
無辺妙相百花辰  無辺の妙相、百花の辰。 
箇中消息若能識  箇中の消息、若し能く識らば、
黄面瞿曇非別人  黄面の瞿曇、別人に非ず。

降誕会 (115)
雪山下四月陽春  雪山下、四月の陽春、
王子誕生歓衆民  王子、誕生、衆民を歓ばす。
杜撰雲門暴言語  杜撰の雲門が暴言の語、
何因眩惑後来人  何に因ってか後来の人を眩惑するや。

降誕会 (119)
秋冬春夏四時行  秋冬春夏四時の行われ、
雨順風調万物成  雨順、風調、万物、成る。
花笑鳥啼叢草裡  花、笑い、鳥、啼く、叢草裡。
初生吐発独尊声  初生、吐発す、独尊の声。

降誕会 (123)
百花繚乱草萌時  百花繚乱、草萌ゆる時、
妙相呱声希有児  妙相、呱声の希有の児。
一指。天他指地  一指は天を。(ササ)へ他指は地、
箇中真意擬何為  箇中の真意、何為(ナントカ)擬す。

降誕会 (127)
歳々年々滅又生  歳々年々、滅又生、
年々歳々喜悲声  年々歳々、喜悲の声。
若人這裡具明眼  若し人、這裡に明眼を具せば、
降誕涅槃同一名  降誕、涅槃、同一名。

仏誕生会(164)吉田正道
直下出胎総忘情  直下に出胎す、総忘の情、
指天指地誑群生  天を指し地を指して群生をたぶらかす。
薬山親浴雲門棒  薬山親しく浴す、雲門の棒、
坐断古今世界清  古今の世界を座断して清し。

涅槃会 (98) 湊素堂                          非滅非生示涅槃  滅っするに非ず、生ずるに非ずして、涅槃を示したまい、
双林樹下入金棺  双林、樹下、金棺に入る。
若知末後世尊意  若し、末後の世尊の意を知らば、
緑水青山天地寛    緑水、青山、天地、寛。

涅槃会 (103)                             
沙羅樹下涅槃尊    沙羅樹下、涅槃の尊                  
双脚出棺何所論    双脚、棺より出して、何の論ずる所ぞ。         
弟子以多非作貴    弟子、多きを以て、貴しと作すにあらず、        
願心存処適児孫    願心、存する処、児孫に適う。             

涅槃会 (107)                             
 昔日西天四衆哀    昔日、西天の四衆、哀しみ、             
 波旬乱舞涅槃台    波旬、乱舞す、涅槃台。               
 色身敗壊法身現    色身、敗壊するとも、法身、現ず、          
 春在枝頭花已開    春は枝頭に在って、花、已、開く。          

涅槃会 (111)                             
 釈尊遺誡照寒潭    釈尊の遺誡、寒潭を照す、              
 衆等如何親荷担    衆等、如何んが親しく荷担せん。           
 堂舎荘厳非箇事    堂舎の荘厳、箇の事に非ず、             
 勤求妙道密須参    妙道を勤求して密に須らく参ずべし。         

涅槃会 (115)                             
 世法無常暫不留    世法は無常なり、暫くも留まら不るも、        
 箇中存解脱清流    箇の中に解脱の清流を存す。             
 釈尊遺誡誰知得    釈尊の遺誡、誰か知得せん、             
 正念端心要苦修    正念、端心に苦修せんことを要す。          

涅槃会 (119)                             
 欝々黄花盛色衰    欝々たる黄花も盛色、衰え、             
 青々翠竹潤枯移    青々たる翠竹も潤枯、移る。             
 釈尊入滅説何相    釈尊の入滅、何の相をか説く、            
 萬象之中流転姿    萬象の中、流転の姿。                

涅槃会 (122)
沙羅樹下涅槃尊  沙羅樹下、涅槃の尊、
末後叮嚀示戒言  末後、叮嚀に戒言を示したまう。
須以法灯作依止  須からく法灯を以て依止と作すべし、
色身敗壊却為冤  色身は敗壊して、却って冤と為る。

涅槃会 (127)
正法毘尼宜保任  正法の毘尼、宜しく保任すべし、
涅槃床上釈尊心  涅槃床上、釈尊の心。
今人棄却如塵芥  今人、棄却して塵芥の如し、
看々祖庭荒草深  看よ、看よ祖庭、荒草深し。

建長寺管長吉田正道老師香語(和光第164号)
特住建長第239世貫道一大和尚頂相讃
雲関真子
楞迦的孫
気宇豁爾
眼定乾坤
天下禅林
高飃刹幡
精魅野狐
脳裂驚奔

竹影払階塵不動
月穿潭底水無痕


2006年10月03日




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