首長にきく

魅力ある秩父の創造へ

 富田 孝 横瀬町々長(きく人 井上勝之助副会長)

Q.1 戦後の秩父地方の過疎化の中で、 村から町へ大きく発展された横瀬町のようすについてお聞かせ下さい。

 人口で見ますと、 昭和35年以降は、 年々増加を続け、 昭和59年10月1日町となり、 当時の41%の人口増加率をみました。

 この要因は、 昭和44年に西武鉄道の乗り入れと三菱鉱業セメントの誘致に伴うものです。

 昔から町の産業は養蚕・織物・木材などが盛んにすすめられてきましたが、 戦後の過疎化傾向の歯止めと、 一層の発展のために、 昭和20年代から西武鉄道誘致の活動が始まり、 昭和36年から工場誘致による、 工場用地造成に入りまして、 ようやく昭和44年その実現をみたわけです。

 これによりまして就業の場が広がり、 交通の好条件による他地域への就業と住宅化が進み、 町民の若返り化もすすみました。

Q.2 秩父地方のシンボル 「武甲山」 の変容と横瀬川など、 横瀬町の自然環境についてどのようなお考えなのでしょうか。

 武甲山の石灰岩は、 セメント3社と関連系列の石灰会社等で年間840万トンほど採掘されています。 採掘の石灰岩層は北面にあり、 山頂附近から下へ採掘されているので、 目立ち、 自然を守ることからもいろいろとご意見をいただいていますが採掘前の植物群落の移植と増殖、 採掘跡の植生緑化等にも取り組んでいます。

 石灰岩の採掘に関連する企業の、 町の税収は、 かつては50%、 現在でも30%余を占める当町の経済基盤でもあります。 自然の有効利用と自然環境保護のバランスのとれた行政が求められています。

 一方、 町の中央を流れる横瀬川に 「ウォーター・パークシラヤマ」 の美しい河川空間造りをしたが、 現在生活排水による汚染をふせぐための施設の検討がなされています。

Q.3 毎年、 ヨコゼ音楽祭が開催されていますが、 横瀬町の歴史や文化活動等についてお聞かせ下さい。

 当町では 「文化の香り漂う町づくり」 を目指しています。 古く縄文の遺跡はじめ、 武甲山の史跡、 根古屋城址など長い歴史と 「神楽」、 「獅子舞」、 「ふくさ人形」 その他数多くの民俗文化が伝承されています。 昭和57年10月 「歴史民俗資料館」 を開館し保存継承をすすめています。

 一方、 新たな文化の創造を目指し、 昭和56年から 「ヨコゼ音楽祭」 を開催し、 本年11回目を迎えました。 クラシック音楽による音楽会の開催は全国の十指に数えられる高い評価をいただいています。

Q.4 これからの横瀬町について抱負をお聞かせ下さい。

 当町は秩父地方の東の玄関口に当たり、 秩父地方へのアクセスを容易にするために、 道路の改良をすすめることが大切です。 国道299号正丸トンネルの開通で、 町内交通量は30%増加しました。 これから取り組む問題として、 国道140号及び国道299号バイパスの早期建設開通が課題です。

 また町人口の増加をすすめたい。 「明るく豊かな潤いのある町づくり」 を目標とし、 別荘や団地でなく、 若い人達が定住し、 あるいは半定住していける環境づくりをすすめてまいります。

(注) インタビューは、 公務ご多用の中をご都合いただきました。 町長職7期目、 今日の豊かな横瀬町を創造された貴重なお話を詳細にお話しいただきました。 本文はその概要を記したものです。

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