Diary2009.12

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12月31日(木)曇風花?
締めくくりは やっぱり楽園。 溝を掘って りんご抜いて・・・。 今年も夢を追い求める人が いっぱい楽園にきた。 特に定年前後の人が多かった。 定年後の漠然とした不安 もてあます余暇 収入の確保 健康管理 そして 誰もがむかえる老い。 農業はそんな悩みを解決する。 楽しいことを楽しく楽しむ。 楽園がそんな人たちの希望になれば・・・。

12月30日(水)曇晴
きょうから 5日間 パワーショベルを借りた。 明渠を掘って Bbを湿害から守るためと 園を拡大するための開墾。 さっそく明渠を掘り始めた。

12月29日()晴。
インドネシアの焼きそば チャーハン バナナの天ぷら 揚げ豆腐のサラダ? ん〜 満腹。 

12月28日(月)晴
ブルーベリーで生業を立てようとしている人と飲んだ。 株主優待券でおごっていただいた。 勉強になるかどうかわからないが 楽園に1年も通ってきている。 農地も見つかりそうで 春には植え付けを開始する。 夢があるような 後続の人が希望をもてるような園を作ってくださいと話をした。

12月27日(日)晴
朝から楽園へ。 今日は一日何の用事もないため じっくりとBbの仕上げ剪定。 隣の畑では 物置に使っていたハウスが分解され 荷物を片づけるため なにやらがらくたが散乱している。 いつになったら片づくのだろうか。 もうかれこれ2週間は経過している。

12月26日(土)晴
どこのの田舎でも 煮込みうどんがある。 メニューには おっきりこみうどんとあった。 幅広の薄いうどんをいろんな野菜で煮込んだもの。 冬にはもってこいで 注文してみたが これが美味い! 絶品だった。 700円で釜の上農園村にある。 

12月25日(金)晴
すっごく懐かしい味に出会えたような気分になった。 これだけの腕を持ちながら・・・。 宝物持ち腐れと言うのか きっと本人もわかっているのだろうけど。 生きている時代が 場所が 環境がじゃましているのだろう。 もっといい”時機”に生まれてきていれば 時代が求めている人になれるのだろうにと。 / 年賀状を一気に仕上げた。 ほんの数枚程度だが 印刷だけでは味気ない。 今年も力が入らなかった。 

12月24日()晴。
あまり大きな声では言えないが うちの事務所も終わりみたいだ。 このご時世 よく今までもったものだと思う。 沈んでは浮き 浮いては沈んで。 その陰では いろいろな力が働き 利害関係に関係なく縁の下の力持ちみたいな人もいただろう。 時代に翻弄され 不景気にさらされ 新たな希望を胸に 売られるのではなく 処分されていく。 いつかきっと時代が求めるときが来ることを願い 静かに幕を引きたいと思う。 秘めたるかまどの種火は消さずにおこう。

12月23日(水)晴
楽園の畑を片づけていたら 取り残した青首だいこん かぶが凍みていた。 今あるのは ねぎとにんにく そして植えたばかりのたまねぎ。 畑も使い切れないので 半分だけ使って あとはBbを植えてしまおうかと 片づけながら考えた。 

12月22日(火)晴 冬至
低温注意報が出た我が街。 今朝の最低気温が−6℃を下回った。 この地域の最低気温が−6℃以下になると予想されるとき 気象庁から低温注意報が出る。 見事的中。 盆地であるため 深々と冷え込む。 覚悟はしていたが とっても寒い。 室内の気温も0℃に近かった。

12月21日(月)晴
久しぶりに緊張した。 会議を主催し 進行役。 会議の到達目標を達成しなくちゃと 話を聞きながらめまぐるしく頭が回転。 結果はまあまあ。 個人の意見をまとめるのは簡単ではないが容易。 しかし 組織としての代表参加の会議では 熱い心を持続させる必要がある。 こんなことを考えながら 相手の心理を読みながら・・・疲れた。

12月20日(日)晴
知り合い 誰に聞いてもボーナスが出ないと嘆く。 ニュースを見ても 出ればいい方で 軒並みダウンとか。 当てにしていた人はきつい。 途方に暮れている人もいる。 そんな中 車を買い換えてしまった。 

12月19日(土)晴
同業者が3人集まり おっ切り込みうどんをすすった。 何ともいえない素朴な味に まいった。 この季節になると 鍋物がいい。 

12月18日(金)晴
職場の上司が 急遽仕事を休んだ。 夜間 激痛に耐えかねて救急車を呼んだらしい。 そのまま検査入院。 結果は どうも胆石らしい。 年寄りが寄るとすぐ病気の話に花が咲く。 そんなことを普段話しているが 自分も含めてそんなお年頃になっている。 特にガンの話が多い。 病気らしい病気もないまま現在まできていて 掛かり付けの医者もなく 入院の経験すらない。 きっとポックリと逝くのだろうと思っているが・・・。 

12月17日(木)晴
OBの人たちと飲んだ。 皆さん元気。 卒業して25年経った先輩もいた。 毎年この時期に開催されるOB会。 出席率はすごくいい。 皆さん楽しみにしているのだろう。 近況報告がすごくおもしろい。 悠々自適に過ごしている人 まだ役から離れられない人 様々。 / 山で道に迷い ビバーク。 携帯で救助を依頼し ヘリコプターでつり上げられ救助された。 その請求金額が12万円。 飲み会が終わって 内緒話として語られた。 貴重な体験かも。

12月16日(水)晴
ボビオを買ってからまだ2年経っていないのに もうタイヤがつるつる。 この厳しい状況の中だが タイヤを交換した。

12月15日(火)晴
温暖化とはいえ やっぱり冬は寒い。 やっと本格的な冬が来そうだ。 起きるのがつらいと言えばそうでもない。 起きてからの寒さがつらい。 家の中でも 一桁台の気温。 深々と寒さが忍び寄る。 こんなデータがある。 どのあたりが一番寒いか。 地上5cmくらいが一番気温が下がるという。 寒さは足下から忍び寄ってくるのだ。

12月14日(月)晴
90歳のじいさんが新聞に載った。 その記事と写真をパウチして もっていってあげた。 冥土のみやげだと冗談を言いながら 照れ隠し。 戦争経験者で 茶飲み話に当時の話を聞くことがある。 しかし 生命力というのか 意欲というのか 気力というのか すごいものがある パワーじいさん。

12月13日(日)晴
この寒い時期に花が満開の品種がある。 シャープブルーというブルーベリー。 休眠が浅く もう目が覚めてしまったのではないか。 そもそも休眠があるのかないのか。  / 構想3か月。 実行1か月。 成果はまずまず。 20→40 倍増!

12月12日(土)晴
この時期にしては とっても小春日和。 この間もらってきたテーラーで10分ほど近所をドライブした。 昔は農家のおじさんが乗っていたのをよく見かけたが 今では見かけることはまず無い。 荷物や道具 収穫した野菜などの運搬も すべて軽トラに取って代わっている。 ぶどう農家に行ったら お茶の時間だからといわれ 乗せてってと ぶどう農家の奥さんと ケンゾーという馬鹿犬をトレーラーに乗せ 母屋に向け出発。 楽しそうな奥さん。 いい初ドライブができた。

12月11日(金)雨
野菜の収穫と 出荷前の調整作業に立ち会った。 冷たい雨が降る中 カッパを着て野菜を収穫している。 作業小屋へ運んできて 土を落とすために水で洗ったり 余分な葉などをとり 大きさ別に箱に詰めている。 誰も好きこのんで こんな作業をしているんじゃないといった感じが 作業の端々で見え隠れする。 凍えるような寒さの中 やっぱり農業は厳しいと感じた。 これが現実で 決して夢見るような仕事ではない。 と強く感じた。

12月10日(木)晴
以前は お役所は競って広報誌を発行していた。 しかし 税収不足から予算が減り 切れるところは切ろうと 広報誌などの予算が切り捨てられ 発行が少なくなってきた。 我が職場では 情報発信は必要だとして 切りつめながら費用を捻出した。 年明け早々に発行予定で 現在編集中。 年内には印刷が上がる。

12月9日(水)曇
こんな時に限って研修。 しかし そこは長年生きている図々しさで 半日で抜け出してきてしまった。 まー遊びで忙しいのではなく 仕事なので そこんとこよろしくっていう感じかな。

12月8日(火)晴
野生獣による農作物被害。 なかなか決め手がないのが実情。 いろんな人の頭を使って 取り組む方向を決めていく会議を開催する。 とにかく動き出さなければ。 考えてもなかなかいい案は出ない。 そんな思いで 意見を聞く会議を開く。

12月7日(月)晴
2年半の時限付き任用。 期限が来れば給与が支払われなくなるため それまでに自分たちで給与分の利益を出すように 事業展開を考え実行しなければならない。 わくわく どきどきするような おもしろい取り組み。 その渦中にいる2人と意見交換。 公募で集めた人たちだから 地域の実情がいまいちつかみきっていないため 何をどうしていったらいいのか視点が定まっていない。 あなたたちの使命は・・・私見だがいろいろと話した。 そしたら 目から鱗が落ちたように 生き生きとした光輝く瞳が凝視していた。 これから どのくらい食いついてくるか。 力を見たい。

12月6日(日)晴
へべれけに酔っぱらって コートを忘れてきてしまったのを朝になって思い出した。 スーツのポケットを探ってみると案の定 荷物の引き替え札がある。 その札をもって 宴会があった会場に行くと 幹事の人に渡したと。 幹事さんの自宅に行って 確かに昨夜忘れ物としてあったのを見たと。 それからが大変だった。 あっちこっちへ電話 またあっちこっちから電話があり 結局わからず 2時間半ものあいだ皆さんを巻き込んで大騒ぎになってしまった。 結末は 宴会場の人が調べもせず返事をしていたことが判明。 宴会場へコートを持ちに行って大騒ぎが集結。 お騒がせしました。 のんべーの大失態でした。

12月5日(土)曇雨
大臣賞受賞祝賀会に参加させていただいた。 地域の名士がずらりと並び あいさつは地域づくりに対し賛嘆するものばかり。 土地改良が終わり 息つく暇もないほど 様々な取り組みがなされた。 本来 参加させていただく立場ではなかったが 我が師匠の計らいで テーブルに着くことができた。 一時期 この集落の振興について 寝食も忘れ 一緒になって考え行動した。 迷いや不安もあったが 結果的にはいい方向へ進んだ。 しかし これからの取り組みをどうしたらいいか。 誰か考えているのだろうか心配だ。 建設は死闘 破壊は一瞬。

12月4日(金)晴
かなり遅いと思うが 直売所でタマネギの苗が安くなっていたので 200本かって植え付けを行った。 これで 500本かな。 来年は 売るほどできるだろう。

12月3日(木)雨
きょうは我が街では大きなお祭り。 それを口実に きょうあすと休みをもらった。 もも農家さんから2tダンプを借りて 片道1時間かけて テーラーとトレーラーをもらいに行ってきた。  なし農家さんが使っていたもので これいいなーと声をかけておいた。 1か月くらい前に 新たに運搬機を買ったようで 農機具屋さんに置いておくからと。 その農機具やさんから 早く引き取りにきてくれと催促があった。 もらいに行ったら フォークリフトでまずトレーラーを積んで その荷台にテーラーを乗せた。 ロープで縛り 楽園へ。 

12月2日(水)晴
OBのとことに行ってきた。 若い人が5人ほど。 きっと研修生に違いない。 農業がブームになっているが 研修先はあっても その先の農地がなかなか手に入らない。 試行期間を数年設けて貸し付けるくらいの度胸がほしい。 

12月1日(火)晴
師走。 ゆず栽培農家も走っていた。 この時期は 一年の中でもっとも忙しい収穫時期。 朝早くから収穫し 暗くなったら小屋の中で仕分けと発送作業。 中旬頃までがヤマ場で 冬至でほぼ終わる。 嗜好品として若い人たちには受け入れられないのか 市場価格が上がらず 下がる一方。 昭和40年代は相当高く取引されていたようで このころ植えられた 樹齢40年ものの樹が多い。