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「熊谷バイブル・バプテスト教会週報」から
聖書のみ
JBBF信仰箇条(1) 聖書について

 礼拝勧話 イロハシリーズ30  聖書のイロハ8b   悳 昭彦  
2005年 8月 28日
目次
1.バイブル・バプテストの特徴/聖書のみ
2.聖書のみ ・ ・ ・ 正統主義・福音主義
3.聖書のみ ・ ・ ・保守主義・根本主義
4.聖書のみ ・ ・ ・聖書の根本教理を遵守する
  バイブル・バプテストの特徴[ 1/1ー1/5] 
熊谷バイブル・バプテスト教会「信仰箇条(1)聖書について」
5.特徴[1/1] バイブル・バプテストの特徴、教会観
6.特徴[ 1/2] 聖書の権威、正典、霊感、無謬、無誤、逐語的霊感
7.特徴[ 1/3] 超自然的霊感、逐語的に霊感
8.特徴[ 1/4] 言語霊感、十全霊感、無謬性、完全で最終的な唯一の啓示、
正典と外典
9.特徴[ 1/5] クリスチャンの一致の真の中心
引用資料

1)JBBC 信仰箇条 一 聖書について(引用聖句対応付き)
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて2 書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感1 された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこのように霊感された書物はなく、この後もありえない。」

                      本文
熊谷バイブル・バプテスト教会週報 2003年03月02日
1.バイブル・バプテストの特徴/聖書のみ
 「「聖書のみ」とは、聖書を信仰と生活の唯一で絶対の基準と受け取り、すべての問題を聖書の教えによって解決しようとする立場です。これは、聖書全巻が神の特別啓示であり、無誤の正典であるという聖書自身の主張によるものであって、聖書を「紙の教皇」として祭り上げることを意味しません。また、狂信的誤用をもたらす解釈を容認するものでもありません。」
問151 「聖書のみ」とは、どういう立場ですか?
答:「聖書のみ」とは、聖書を信仰と生活の唯一で絶対の基準と受け取り、すべての問題を聖書の教えによって解決しようとする立場です
問152 「聖書のみ」という立場は、何処からきますか?
答:「聖書のみ」という立場は、聖書全巻が神の特別啓示であり、無誤の正典であるという聖書自身の主張によるものです。

2.聖書のみ ・ ・ ・ 正統主義・福音主義
 「正統主義[Orthodoxy]:非正統[heterodoxy]異端[heresy]と対比される言葉で、聖書に(+α)したり聖書から(−α)したりする異端や異説に対する、正しい真理の主張や立場を意味します。
問153 正統主義と対比される言葉は、何ですか?
答:正統主義と対比される言葉は、非正統、異端、異説であって聖書に反することを主張したりする立場を意味します。」

「福音主義[Evangericalism]:多様な使い方がありますが、聖書の福音を忠実に受容し継承し宣教する立場を意味します。宗教改革者も聖書のみ・信仰のみ・恵みのみを強調しました。」
問154 福音主義とは、どのような立場ですか?
答:福音主義とは、聖書の福音を忠実に受容し継承し宣教する立場を意味します。
この立場の聖書観は、先に紹介した福音主義教会における聖書に関する十二項の通りです。
  11)宇田 進 著 総説 現代福音主義神学 (2002年10月1日)
いのちのことば社pp219−246
T 第三章 キリスト教と神の啓示 第六節 福音主義教会における聖書に
関する十二項)

3.聖書のみ ・ ・ ・保守主義・根本主義
 「保守主義[Conservatism]:近代主義[modernism]が、科学的知識と聖書の記事に対する歴史批評の重視から、聖書の超自然主義と権威を排除したことに対して、伝統的な聖書の無誤性と権威を主張します。」
問155 保守主義と対比される言葉は何ですか?
答:保守主義と対比される言葉は、近代主義です。

問156 保守主義と近代主義それぞれの主張は、どのようなことですか?
答: 保守主義[Conservatism]は、伝統的な聖書の無誤性と権威を
主張します。
 近代主義[modernism]は、科学的知識と聖書の記事に対する歴史批評の重視から、聖書の超自然主義と権威を排除します。

「根本主義[Fundamentalism]:自由主義[liberalism]の科学主義/理性主義・自然主義/人間主義に対決し、保守的・福音的・歴史的キリスト信仰を主張します。」
問157 根本主義に対比される言葉は何ですか?
答:根本主義に対比される言葉は、自由主義です。
問158 根本主義と自由主義それぞれの主張は、そのようなことですか?
答:根本主義[Fundamentalism]は、保守的・福音的・歴史的キリスト信仰を主張します。
自由主義[liberalism]は、科学主義/理性主義・自然主義/人間主義を主張します。

4.聖書のみ ・ ・ ・聖書の根本教理を遵守する
 「バイブル・バプテストは、@逐語霊感に立つ聖書の無誤性Aキリストの神性と処女降誕Bキリストの十字架の死による罪の完全な代償Cキリストの復活と再臨D回心と聖化における聖霊の働きE信者への永遠の祝福・不信者への永遠の刑罰など、聖書の根本教理を遵守します。原理主義や根本主義が狂信者を侮蔑する言葉として用いられますが、不当な誤解と言うべきです。」
問159 バイブル・バプテストが遵守する聖書の根本教理とは、何を意味しますか?
答:バイブル・バプテストが遵守する聖書の根本教理とは、、@逐語霊感に立つ聖書の無誤性Aキリストの神性と処女降誕Bキリストの十字架の死による罪の完全な代償Cキリストの復活と再臨D回心と聖化における聖霊の働きE信者への永遠の祝福・不信者への永遠の刑罰などです。

2)熊谷バイブル・バプテスト教会週報 
2003年06月22日 − 2003年07月20日
バイブル・バプテストの特徴[ 1/1−1/5] 熊谷バイブル・バプテスト教会
「信仰箇条(1)聖書について」

1)JBBC 信仰箇条 一 聖書について(引用聖句対応付き)
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて2 書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感1 された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこのように霊感された書物はなく、この後もありえない。
引用聖句(引用箇所のみ):
1 Uテモテ3:16、17 
2 Uペテロ1:19−21
3 使徒1:16
4 使徒28:25
5 詩篇119:160
6 ルカ24:25−27
7 ヨハネ17:17
8 ルカ24:44、45
9 詩篇119:89
10 箴言30:5、6
11 黙示22:19
12 ヨハネ5:45−47
13 ヨハネ5:39
14 詩篇119:105
15 詩篇119:130
16 ローマ3:4
17 Tペテロ1:2、3
18 ヨハネ12:48
19 イザヤ8:20
20 エペソ6:17
21 ローマ15:4
22 詩篇19:7−11」

引用聖句(聖句付き):
1 Uテモテ3:16、17 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
2 Uペテロ1:19−21 1:19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。 1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

2)熊谷バイブル・バプテスト教会週報 
2003年06月22日 − 2003年07月20日
バイブル・バプテストの特徴[ 1/1−1/5] 熊谷バイブル・バプテスト教会
「信仰箇条(1)聖書について」

5.バイブル・バプテストの特徴[ 1/1] 熊谷バイブル・バプテスト教会
「信仰箇条(1)聖書について」
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこ
のように霊感された書物はなく、この後もありえない。」

「特徴とは、あるものを他から識別させる特有なもの、あるいは特質である。
* キリスト教会には様々な教派あるいは教会がある。バプテストと呼ばれる人々は他教派あるいは他教会の人々とは異なる特徴を持っている。例えば、新生者のバプテスマ、全浸礼によるバプテスマ、個人的良心の自由、政治と宗教の自由、政治と宗教の分離、偶像礼拝の禁止などである。」
問160 バプテストと呼ばれる人々は他教派あるいは他教会の人々とは異なる特徴を持っているということですが、それでは、その異なる特徴とは、どのようなことですか?
答:その特徴とは、例えば、新生者のバプテスマ、全浸礼によるバプテスマ、個人的良心の自由、政治と宗教の自由、政治と宗教の分離、偶像礼拝の禁止などです。

* 「バプテストと呼ばれる人々の間でも、論争があったり分離があったりする。例えば、日本バプテスト連盟は婦人牧師を認めて、母体である米国南部バプテストと激論を戦わせているし保守バプテストの一部は滴礼や幼児洗礼を受け入れていると伝えられている。」
問161 バプテストと呼ばれる人々なら、婦人牧師を認めたり、滴礼や幼児洗礼を受け入れたりはしないものですか?
答:バプテストと呼ばれる人々であっても、婦人牧師を認めたり、滴礼や幼児洗礼を受け入れたりする実例があります。

* 「今日的問題としては、それぞれの特質を無視した超教派運動がある。バイブル・バプテストのように、可視的な・地方的な・独立の教会観から超教派運動を批判しようものなら、小さいことにこだわる偏狭な連中という非難を浴びせられる始末である。」
問162 バイブル・バプテストの教会観とは、簡単に言うとどのような教会観ですか?
答:バイブル・バプテストの教会観とは、可視的な・地方的な・独立の教会観です。これは、小さいことにこだわる偏狭な態度ではなく、聖書に忠実であろうとする姿勢の表れに他なりません。

* 「バイブル・バプテストは独善的に振舞う人々ではない。信仰と生活の最終的な権威は聖書であると信仰告白している故に、聖書の記述や解釈から逸脱することには不同意であると言うし、少しでも真理からそれる人々がいれば、真偽・正邪・善悪をはっきりさせるのである。」
問163 バイブル・バプテストの一員である私たちは、聖書の記述や解釈から逸脱したり、真理からそれる人々がいても、そのそれかたが、些細なものであれば、黙認してもかまわないでしょうか?
答:バイブル・バプテストの一員である私たちは、聖書の記述や解釈から逸脱したり、真理からそれる人々がいて、そのそれかたが、たとえ些細なものであっても、その聖書の記述や解釈について、真偽・正邪・善悪をはっきりさせるべきです。

6.バイブル・バプテストの特徴[ 1/2] 熊谷バイブル・バプテスト教会
「信仰箇条(1)聖書について」
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこのように霊感された書物はなく、この後もありえない。」

* 「信仰箇条第1項で「聖書」が取り上げられる理由・ ・ ・ 私たちは、信仰と行いの最終権威は「聖書である」と堅く信じている。権威は物事を考えたり決めたり、あるいは方向や方法を決定する基準であるから、まず聖書の権威が確認される必要がある。」
問164 信仰箇条第1項で「聖書」が取り上げられる理由はなんですか?
答:聖書は、物事を考えたり決めたり、あるいは方向や方法を決定する基準ですから、まず聖書の権威が確認される必要があります。
* 「なぜ「聖書66巻」と言うか ・ ・ ・ ある人々は「聖書66巻」以外に『教会の伝統』や『会議の決定』を聖書以上に重んじている。ある人々は『聖霊の言葉』と称するものを聖書以上に重んじている。しかし神の意思は「聖書66巻」に完結しており、一切の付加を許さない。」
問165 私たちは、何故「聖書66巻」にそうこだわるのですか?
答:神の意思は、正典である「聖書66巻」に完結しており、一切の付加を許さないからです。

* 「なぜ「聖霊に動かされて書いたもの」と言うか ・ ・ ・ 私たちが用いる『霊感』という言葉は神が書き取らせたのであるから、聖書は100%の事実/真実を表示している「神のことば」であることを意味している。聖書が『無謬』であり『無誤』であるから最終権威なのだ。」
問166 聖書が『無謬』であり『無誤』である理由は何ですか?
答: 聖書は、「聖霊に動かされて書いたもの」であり、神が書き取らせたものであるから、聖書は100%の事実/真実を表示しています。これこそ、聖書が『無謬』であり『無誤』である理由です。

* 「なぜ「超自然的にまた逐語的に霊感された神のことば」と言うか ・ ・ ・ 近代主義の用語としての『霊感』は主観的であり部分的であって「聖書66巻」の文体や用語に及ばない。もし超自然的かつ逐語的な霊感を認めないなら、私たちの信仰と行いの権威にはなりえない。」
問167 「逐語的」ということは、どのようなことを意味していますか?
答:「逐語的」ということは、『霊感』は主観的でも、部分的でもなく、「聖書66巻」の文体や用語にまで及んでいることを意味しています。そして、もし超自然的かつ逐語的な霊感を認めないなら、聖書は私たちの信仰と行いの権威にはなりえないということを意味します。

7.バイブル・バプテストの特徴[ 1/3] 熊谷バイブル・バプテスト教会
「信仰箇条(1)聖書について」
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこのように霊感された書物はなく、この後もありえない。」

* 「なぜ「霊感された神のことば」というか ・ ・ ・ Uテモテ3:16「聖書はすべて神の霊感によるもので」とある。霊感あるいは感動と訳された言葉は、意識的に強く吹き込まれた神の息吹であり、神が聖書記者を支配し、彼らを通して語り、書き取らせた神の行為を示す。」
聖句:
Uテモテ3:16 3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
問168 Uテモテ3:16の「聖書はすべて神の霊感によるもので」において、霊感と訳された言葉は、何を意味しますか?
答:霊感あるいは感動と訳された言葉は、意識的に強く吹き込まれた神の息吹であり、神が聖書記者を支配し、彼らを通して語り、書き取らせた神の行為を示します。

* 「なぜ「超自然的に霊感された」と言うか ・ ・ ・ 自然霊感と言えば、聖書記者に及んだ神の働きを否定して、釈迦や孔子やマホメットの言葉、あるいは宗教家や芸術家の言葉と同じレベルに置くことであって、単なる天才人間の文学的才能とみなすことである。」
問169 「超自然的霊感」と「自然霊感」とは、どのような違いがありますか?
答:「超自然的」とは、神が干渉されたことを意味し、「自然霊感」と言えば、聖書記者に及んだ神の働きを否定して、釈迦や孔子やマホメットの言葉、あるいは宗教家や芸術家の言葉と同じレベルに置くことであって、単なる天才人間の文学的才能とみなすことです。

* 「なぜ「逐語的に霊感された」と言うか ・ ・ ・ 「逐語的に」という言葉は、聖書記者が機械的に受動的に用いられた(たとば音楽家が演奏する楽器のように)ということではなく、彼らが選択した用語や文体まで、どんな脱・誤もないようにと、神に守られたことを示す。」
問170 「逐語的に」とは、聖書記者が機械的に受動的に用いられた(たとば音楽家が演奏する楽器のように)ということでしょうか?
答:「逐語的に」とは、聖書記者が機械的に、あたかもタイプライターのように、受動的に用いられたということではなく、聖書記者たちが選択した用語や文体まで、どんな脱・誤もないようにと、神に守られたことを示します。

* 「なぜ「少しのあやまりもない真理」と言うか ・ ・ ・ 聖書について、ある人々は古い宗教文献であり、近代の合理的精神から見れば種々の迷蒙(めいもう)に彩られていると言う。ある人々は科学的に誤りがあると言う。もしそうであるなら、私たちの信仰と行いの基準にはなりえない。」
問171 聖書について、「少しのあやまりもない真理」と言いますが、近代の合理的精神からみれば、思想的にも時代遅れであり、科学的側面においても、もはや、少しの誤りも無いとは言えないのではありませんか?
答:聖書は、宗教文献としても、思想的にも、科学的側面においても、決して時代遅れではなく、聖書に関する、歴史学、考古学、言語学、文献学の発展と共に、かえって、聖書の記述の正しさが、証明されつつあります。科学的記述についても、決して誤りは認められないのであります。

8.バイブル・バプテストの特徴[ 1/4] 熊谷バイブル・バプテスト教会「信仰箇条(1)聖書について」
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこのように霊感された書物はなく、この後もありえない。」

* 「なぜ「少しのあやまりもない真理」と言うか ・ ・ ・ 19世紀から20世紀にかけてファンダメンタリスト根本主義者はモダニスト近代主義者との論争の中で、聖書の言語霊感(verbal inspiration)十全霊感(plenary inspiration)という用語で、聖書の無謬性(infallibility)を強調した。」
問172 (これは易しい問題です)19世紀から20世紀にかけてファンダメンタリスト根本主義者はモダニスト近代主義者との論争の中で、聖書の無謬性(infallibility)を強調したのは、ファンダメンタリスト根本主義者とモダニスト近代主義者のうち、どちらですか?
答:聖書の無謬性(infallibility)を強調したのは、ファンダメンタリスト根本主義者です。

* 「なぜ「少しのあやまりもない真理」と言うか ・ ・ ・ 近年になってニューエヴァンジェリカル新福音主義者は、救いに関わることでは聖書に誤りがないが、歴史や科学に関する事柄については誤りがあると言い出したので、無謬性に変えて無誤性(inerrancy)という言葉を採用している。」
問173 近年になって、出現したニューエヴァンジェリカル新福音主義者は、聖書の言語霊感や十全霊感に立つ、聖書の無謬性を重んじる立場の人達ですか?
答:ニューエヴァンジェリカル新福音主義者は、聖書の言語霊感や十全霊感に立つ人達ではありません。従って、聖書の無謬性を重んじる立場の人達ではありません。

* 「なぜ「神の意思の完全で最終的な唯一の啓示」と言うか ・ ・ ・ 啓示(revelation)は隠されていることが明らかになることで、神が行為と言葉においてご自身をお示しになり、特に旧約聖書と新約聖書で知らせてくださったので、神を礼拝することが可能になった。」
問174 旧約聖書と新約聖書も神の啓示の一つですか?
答:旧約聖書と新約聖書も神の啓示の一つです。旧約聖書と新約聖書は、神の行為と言葉における三つの啓示、すなわち、創造における神の啓示、キリストにおける啓示、みことばにおける啓示の三つのうちの、みことばにおける啓示に該当します。みことばにおける啓示である旧約聖書と新約聖書は、「神の意思の完全で最終的な唯一の啓示」であるというわけです。

* 「なぜ「神の意思の完全で最終的な唯一の啓示」と言うか ・ ・ ・ ある人は聖書を信仰と生活における唯一の権威と見ない。また、ある人は聖書を神のことばではなく人間の言葉であるとする。神の啓示は旧約聖書39書+新約聖書27書であり、これ以上でもこれ以下でもない。」
問175 クリスチャンと自称するすべての人が、聖書を信仰と生活における唯一の権威と見、聖書は人間の言葉ではなく、神のことばであるとしていますか?
答:すべての人が、聖書を信仰と生活における唯一の権威と見、聖書は神のことばであるとしているわけではありません。
中には、聖書を信仰と生活における唯一の権威と見ず、聖書を神のことばではなく人間の言葉であるとする人もいます。
問176 みことばによる神の啓示は、旧約聖書39書+新約聖書27書だけですか?聖書の外典というものも耳にしますが、聖書は、本当にこれだけで良いのですか?あるいは、旧約聖書39書+新約聖書27書のなかには、省いても良いものも含まれているのではありませんか?
答:神の啓示は旧約聖書39書+新約聖書27書であり、これ以上でもこれ以下でもありません。神の霊感を受けていない聖書の外典を神の霊感を受けた旧約聖書39書+新約聖書27書と同列に置くとは、もってのほかです。
問177 クリスチャンは、少なくとも、新約聖書だけ読んでいれば、何とかなりますか?あるいは、新約聖書の他に、旧約聖書のうち、詩篇ぐらい読めば、何とかなりますか?
答:神は、人々に必要不可欠かつそれだけで十分なものとして、旧約聖書39書+新約聖書27書をお与えになったわけですから、どのように、時間の配分するかは自由ですが、旧約聖書39書+新約聖書27書全部を注意深く拝読する必要があります。
クリスチャンは、聖書の一部分だけ読んで何とかなるものではありません。もっとも、聖書を殆ど読まないよりは、ましでしょうが。

9.バイブル・バプテストの特徴[ 1/5] 熊谷バイブル・バプテスト教会「信仰箇条(1)聖書について」
 「わたしたちはこう信じる。聖書六十六巻は昔の聖なる人々が聖霊に動かされて書いたものであり、超自然的にまた逐語的に霊感された神のことばそのものである。従って少しのあやまりもない真理であり、人類に対する神の意志の完全で最終的な唯一の啓示である。
 またクリスチャンの一致の真の中心であり、人間のすべての行為、思想また信条をためす最高の規範である。かつてこのように霊感された書物はなく、この後もありえない。」

* 「なぜ「クリスチャンの一致の真の中心」と言うか ・ ・ ・ クリスチャンを自称しながら @ 聖書全体を神のことばと認めない人々、A 聖書以外からの知識や実践を持ち込む人々、B聖書の一部を強調してアンバランスな主張をする人々、また一部を軽視する人々とは、一致協力することは出来ない。」
問178 聖書六十六巻が、「クリスチャンの一致の真の中心」であるとすれば、私たちが一致協力することが出来るクリスチャンとは、どのようなクリスチャンですか?
答:私たちが一致協力することが出来るクリスチャンとは、少なくとも、 @ 聖書全体を神のことばと認める人々、A 聖書以外からの知識や実践を持ち込まない人々、B聖書の一部を強調してアンバランスな主張をしたりしない人々、また聖書のどの部分も軽視しない人々のことです。
引用資料
1)JBBC 信仰箇条 一 聖書について
2)杉浦 宏禧 著 熊谷バイブル・バプテスト教会週報 
2003年06月22日 − 2003年07月20日
バイブル・バプテストの特徴[ 1/1−1/5] 熊谷バイブル・バプテスト教会
「信仰箇条(1)聖書について」
3)杉浦 宏禧 著 熊谷バイブル・バプテスト教会週報 
2003年01月19日 − 2003年03月02日
聖書の和訳 ・ ・ ・ 、聖書の翻訳と出版 ・ ・ ・ 、聖書の解釈・ ・ ・ 、
聖書の学び方・ ・ ・ 、
聖書/釈義と解釈・ ・ ・ 、聖書/神の啓示・ ・ ・、
バイブル・バプテストの特徴/聖書のみ・ ・ ・ 
4)杉浦 宏禧 著 熊谷バイブル・バプテスト教会週報 
2002年01月06日 − 2002年01月20日から
聖書について・ ・ ・ 、旧約聖書/モーセの五書・ ・ ・ 、
旧約聖書/出エジプト記・ ・ ・ 、
5)宇田 進 著 総説 現代福音主義神学 (2002年10月1日)いのちのことば社pp219−246から
   T 第三章 キリスト教と神の啓示 第六節 福音主義教会における
聖書に関する十二項
6)ウェストミンスター信仰告白 発行所 梶@新教出版社(1964)
第一章 聖書についてpp5−11
7)ウェストミンスター 小教理問答書 翻訳者 日本基督改革派教会 
信仰規準翻訳委員会 発行所  活水社書店 (1967年3月25日三版)
8)鈴木 昌訳篇 バプテスト教理問答書 聖書図書刊行会(1971)問1−問5
9)ウェストミンスター 大教理問答 訳者 日本基督改革派教会 
発行所 梶@新教出版社(1970)
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